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20120821

ジョン・ミッチェル旅のエッセイ:高江訪問

枯れ葉剤報道でお馴染みのジョン・ミッチェルさんが、高江を訪問したときのことがジャパンタイムズの記事になりました。原文と添えられた写真はこちらから

ジョン・ミッチェル「ジャングルの闘い」『ジャパン・タイムズ』2012年8月19日

日本最貧県の沖縄のなかでも経済的に貧しいのは、一帯が深いやんばるのジャングルに覆われている北部東海岸である。ここ東村と国頭村は、電気や水道敷設がもっとも遅れて届いた場所だ。1978年になるまで舗装道もなかった。

しかし、生物多様性の観点からすると、ここは地球上で最も豊かな場所のひとつであり、10種以上にのぼる固有種のひとつ、絶滅が危惧されているノグチゲラというキツツキは、県のシンボルにもなっている。

[写真キャプション]様々な表情を持つ緑の濃淡:やんばるは地球上で最も生態系の豊かな場所のひとつであり、同時に、沖縄最大の米軍施設、ジャングル戦闘訓練センターを擁する地でもある。

最近この場所を訪れた私は、あふれるほどの自然に抱かれて心安らかな気持ちになれたと思ったのだが、しかしそれは早計であった。土地の名産であるパイナップルのならんだ道路脇の店に車を停めると、ニワトリが雑草をついばみ、野生のイノシシが2匹のうり坊と一緒にハイビスカスの茂みに鼻先をくぐらせている。イノシシが最初に異変に気付く。母イノシシが鳴き声を上げ、子供たちの尻を下生えのほうに押しやったそのとき、3機の巨大なヘリコプターが轟音をたてて頭上に現れ、続いて迷彩色のトラックの一団がすぐそばの道路を猛スピードで通過した。突如としてそこは戦場の最前線の様相となった。

やんばるのこの一帯は、経済的な困窮と生態系の豊かさにおいてだけではなく、もうひとつの点で突出している。沖縄最大の米軍施設、海兵隊ジャングル戦闘訓練センター(JWTC)、またの名をキャンプ・ゴンサルベスと呼ばれる施設を受け容れているのである。

72平方キロメートル、問題になっている南の普天間飛行場の15倍の面積のJWTCは、1957年に敷設され、ヴェトナム戦争中、GIのサヴァイヴァル訓練や猛毒の除草剤エージェント・オレンジの実験にも使用された。60年代、地元住民が雇われて対ゲリラ戦訓練のヴェトコン役をやらされたこともある。現在、この巨大な提供区域に雇われているのは、20数名のアメリカ人とひとにぎりの日本人雇用員のみである。

隣接する集落に暮らす人びとは訓練場の閉鎖を求めて長きにわたる活動を展開し、これは冷戦期の時代遅れの産物だと指摘している。1996年、米兵による沖縄の小学生の残忍なレイプ事件への激しい公憤を沈静化させる目的で、東京とワシントンはJWTCの半分を民間に返還することに合意した。だが、それには条件があった。米軍はまず新たに6つの、直径75メートル規模のヘリパッドを東村高江地区周辺に建設するよう求めたのである。この5年間、地元住民はヘリパッド建設を止めるため座り込みに及んだ。

抗議運動のテントは、県道70号線沿いにあり、やんばるでもっとも多くの訪問者を惹きつける訪問先となっている。それもそのはず、そこは色とりどりの旗や横断幕で飾り付けられ、沖縄の地元テレビのスーパーヒーロー琉神マブヤーに似せた遊び心のある看板や、子供たちも喜ぶような記念写真撮影用の顔出し看板もある。

この日も、テントには老いも若きも訪問者が沢山来ていた。なかには日焼けした東京の女の子たちが、Jポップのスターでこの運動を支援するUAが近くに越してきたというので、ひと目でも会いたいとレンタカーで南のリゾートホテルから駆けつけていた。UAには会えなくても、若いその女性たちは腰掛けて、地元の人から、継続中のこの闘争についての説明に耳を傾けていた。高江は、人の気持ちを変えることに成功しているようだ。

住民によれば、計画されているヘリパッドは高江にひとつしかない学校にも近く、子供たちの安全が脅かされるという。その不安の高まりの背後にあるのが、しばしば墜落するオスプレイという航空機をこの着陸帯でも使用するという米国の計画である。1970年代以降ある記録から判ることは、JWTCでは現在使用されている機種での事故が断続的に起こっており、米兵の死者は20名にのぼっているという事実だ。

ヘリパッド建設を請け負う日本政府出先機関の沖縄防衛局と対峙する住民たちの運動の核心は、この島全土の抗議行動に浸透している非暴力の行動である。この5年間、ブルドーザーに頭を下げ、時にしし汁の鍋やバレンタインのチョコレートをふるまう、そこに備わる正義とユーモアの精神に、仏頂面した官僚は面食らうのである。

[写真キャプション]冷戦の遺物と言われる駐留は、抗議行動の対象となってきた。仏教僧の佐々木弘文はこの闘争を「人権」の問題だと特徴づけた。

だが、こんな作戦が功を奏したのもしばらくの間までで、事態は変化したように見える。7月、仲井真弘多沖縄県知事のオスプレイ反対の声明にもかかわらず、トラック2台で作業員が再び高江に押しかけ、ヘリパッド建設工事を再開しようとした。

この日は闘争のつかの間の休息を迎えており、おかげで座り込み参加者のひとりに話を聞くことができた。仏教僧の佐々木弘文は「これは人権の問題です。日米政府はこの高江でこんなふうに人権を踏みにじっている」と語った。

阿部小涼は、琉球大学の准教授で、自らも「座り込み人」"sit-inner"と称する2007年来の参加者である。「高江は将来の日米関係を判定するリトマス試験紙となる。とりわけ福島のメルトダウン以後、日本本土の多くの人がますます高江の運動に共感するようになってきている。沖縄でも福島でも、東京の政府はこれまで、人々の意志を抑圧しカネで買収しようとしてきた」。

[写真キャプション]大学で講義し、抗議活動も行う阿部小涼。高江の座り込みに2007年から参加している。

やんばるに暮らす住民の熱意がもっとよく判るからと、阿部は私をカフェ山瓶に案内してくれた。深いジャングルの中にあり、座り込み運動に深く関わっている夫妻が経営する店である。まるでエンドアの村[訳注:映画スターウォーズに登場するイウォークたちが住む森林]みたいな木造のデッキと渡り廊下がある。この建物も、食事もすべて手作り。ベジタブル・カリーやシナモン・トースト、そしてぶどうパンがとても美味しかったので、お土産に一袋買って帰ることにした。

カフェの周囲は、薄明にシダ植物が生い茂り、輝くような赤いトンボたちがせせらぎの上で空中戦を繰り広げていた。住民たちが逮捕も辞さない覚悟でその天国のようなジャングルを守ろうとする理由がすぐに理解できるだろう。

阿部によれば、やんばるの反軍事主義は今日に始まったことではないし、単純な反米軍主義でもないという。「第二次大戦前、自ら怪我を負ってでも日本軍への徴兵を逃れようとしたという話もある。戦中には逃走する兵士を匿って助けたこともある」。

ランチのあと阿部は、やんばるの平和主義が際立つ次の場所へと、ドライブに連れて行ってくれた。途上、様々な表情を見せる緑の濃淡が水平に伸びる稜線を区切るように点在する軍の監視塔が、JWTCの圧倒的規模をはっきりと示していた。橋のたもとで車を停めると、20メートル崖下に、3名のGIが流れの向こうにあるゴムボートめがけて競っていた。1週間の間、タバコのライターひとつとナイフ1本だけを持って森に残されるかれらのような訓練兵は虫やヘビ、木の根など食糧を調達しなければならない。ディンギーを奪い合う様子を見て、カフェ山瓶で入手したパンを投げて分けてやりたい衝動に駆られたが、そうする前に、下流へと向かったかれらの姿は見えなくなり、後には罵り合う声だけがこだましていた。

[写真キャプション]石に刻まれて:1971年の米軍実弾演習阻止の勝利を記念する安田集落の碑。

さらに15分ほど車を走らせ、目的地、安田の集落に到着した。そこにある2メートルほどのみかげ石の一枚岩が、1971年、この地区に射爆訓練をつくろうとした海兵隊の目論見の阻止に成功した住民たちの記憶を不朽のものにしていた。碑には、軍の実弾演習の実施計画を知った数百名の男女、子どもたちがJWTC内になだれ込み、砲台の設置地点と着弾地点の両方を占拠したと書かれていた。長時間の闘争局面の後、海兵隊はついに計画中止に追い込まれた。抗議行動には違法性もあっただろうにもかかわらず、村によって2009年に建立されたこの石碑が、やんばるの抵抗精神の最新の証拠として屹立している。

私は、もし政府がヘリパッド計画を断念したら同じような記念碑を立てたいかと阿部に尋ねた。驚いたことに、彼女は首を振るのだった。しかし続けて笑いながらこう言った。

「いつか、単にヘリパッド問題での勝利を記念するのではなく、JWTCが完全に閉鎖されて民有地に返還されたら、その時にはね。高江の座り込みは、将来の世代に21世紀のアクティヴィズムの強さを伝えるため、記憶されるべき価値があるから」。


行き方:高江は沖縄都心部の那覇から車で3時間。行き方と座り込みの最新情報(日本語)はここtakae.ti-da.netから。
カフェ山瓶は午前11時-午後6時まで営業。火・水休業www.mco.ne.jp/yamagame。安田の闘争記念碑へは高江から車で30分ほど北上。
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