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20150803

8月10日ベトナム・ダイオキシン・デー@東京

ベトナム・ダイオキシン・デー第5回ニッポン「沖縄の枯れ葉剤を追跡する」開催!
シンポジウムには、中村梧郎さんのほか、ジョン・ミッチェルさん(『追跡・沖縄の枯れ葉剤』著者、サイトはこちら
河村雅美さん(沖縄BD、サッカー場追求してますよ!)が登壇します。東京の皆さまぜひ、お運び下さい。

詳細は沖縄BDのblogで!

2015年8月10日(月)
17時30分開場18時開会
品川区きゅりあん小ホール
JR京浜東北線・東急大井町線・りんかい線 大井町駅徒歩1分
会費 前売り2,000円 当日2,200円 (学生1,000円)





20141027

ジョン・ミッチェル著『追跡・沖縄の枯れ葉剤』と11月1日・2日シンポ@キリ学

11月1日・2日の両日、沖縄キリスト教学院大にて、「枯れ葉剤の対話と言説」国際シンポが開催されます(日本語の告知英語の告知)。
プログラムの詳細についてはこの記事の最後の画像を参照して下さい。
また、10月30日に外国特派員協会(FCCJ)でのプレスカンファレンスが予定されています(FCCJの機関誌Number 1 Shinbunにジョンさんの記事が出ています)。ご注目下さい。

 シンポ初日の1日土曜日の朝一番で、ジョン・ミッチェル氏の講演があります。沖縄県内の皆さんぜひ、ぜひ、ご来場下さい。
 そして!これまで発表されてきた報道記事を、改めて出版向けとしてジョンさんが書き下ろした本が出来ました。沖縄に関する沢山の大切な本を出版してきた高文研からです。アマゾンや沖縄県内の書店でも取り扱い予定ですが、当日、会場での販売を予定していますので、ぜひ、ぜひ、お求め下さい。

ジョン・ミッチェル著『追跡・沖縄の枯れ葉剤:埋もれた戦争犯罪を掘り起こす』高文研2014年。

さて、沖縄の枯れ葉剤に関する最新のニュースが今朝の新報に掲載されました。
「最強ダイオキシン検出、沖縄市ドラム缶汚染」『琉球新報』2014年10月27日

ドラム缶問題について、この新聞報道までの道のりを丁寧に開いてきたのが、沖縄・生物多様性市民ネットワークの活動です。公式ブログの「枯れ葉剤」トピックをぜひチェックして下さい。ジョン・ミッチェルさんの報道との見事な連携と併せて、市民が調査する、自治体の調査を後押しする、国境を超えて連携する、とても具体的で必要とされる取り組み事例の、そのアヴァンギャルドに立って活躍している人々です。
ご賛同下さる皆さま、ぜひともこの沖縄BDへカンパをご検討下さい。
振込先:ゆうちょ銀行 01700-3-69279
口座名義:沖縄BDネット

以下が、シンポのタイムテーブルです。ご参考下さい。




20130909

沖縄BDからカンパの呼びかけ

沖縄BDがドラム缶問題で本領発揮中。調査は市民の権利、手放さないために、カンパのご協力をぜひ宜しくお願いします。

■振り込み先:
ゆうちょ銀行、記号 17030 番号 11429361 なまえ オキナワビーディーシミンネット
他の金融機関からの振り込みの際は ゆうちょ銀行 店名 七0八 (ナナゼロハチ ) 店番 708 普通預金 口座番号 1142936

■詳細説明は、沖縄BDのblogでどうぞ。

■追記:いであってこんな会社これも参照してね。

20120917

枯れ葉剤で名護市が要請/県議会9月例会開会、そうだ!<たかえたいへん、たかえのために。県議会陳情編>

「枯れ葉剤使用の事実確認求める/名護市外務省に」『琉球新報』2012年9月17日2面。
これは、ジョン・ミッチェルの8月のJT報道を受けたもの。

そして、県議会9月例会が始まった。今度こそ高江のために動くのかい。県知事も県議会も選挙で選ばれた代表のハズなのにね。

でも選挙のときは多少盛り上がったりしたくせに、選挙が終わったら忘れて自由放任野放しにしている方も、権利を放棄していると言える、ではある。
そうだ!これだ!ということで・・・。

<たかえたいへん、たかえのために。県議会に陳情しよう編>
議員さんへの要請電話やFAXアクションやった人は、こんな次のステップに踏み出してみてはどうだろうか。投票した人も棄権した人も、投票権のある人もない人も、県議会へのアクション、やってみようと呼びかけたい。

9月定例会会期日程(案)
 →米軍のことは「米軍基地関係特別委員会」、通称「軍特委(ぐんとくい)」という委員会で取り上げられるよ。
 →特別委員会宛の請願・陳情の締切は9月28日(金)となっているぞ。

代表質問・一般質問のリンクはここに登場するハズ
 →質問内容の締切は代表が9月21日(金)一般が24日(月)。
 →これを事前にチェックして、本会議の傍聴に行くというのがグッド。

請願・陳情のハウツーはここに
 →あるけど、やってみないと判らないことだらけだ。むぅーん。
 →請願は「1名以上の紹介議員」、陳情は不要、という違いらしい。
 →「だれでも請願書や陳情書を提出できる」とある。年齢も住所も問われないということやね。ひとりでも、仲良しグループでもアリということやね。
 →意見を書いたら県議会の事務局に出しましょう。
 →陳情書は誰でも出せるけど「クロヤギメール」にならないためにも、「出したよー」と関係する議員さんにひと声かけると効果倍増かも。基地問題を担当する「軍特委」の皆さんのリストはここに挙げておいたから。連絡してアポイント取ってから訪ねてみよう。

●何事も先達はあらまほしきことなり。
 →「いや、急に陳情書て言われてもなーんだか。ね」という人、県庁2階の行政情報センターに行ったら過去の県議会の陳情のファイルを見ることができるから、参考になると思う。あるいは、「この人なら!」と思う県議の人に出し方を教えてもらうのも、手かもしれない。
 →高江のこれまでの陳情の様子は高江blog「要請・陳情」カテゴリーでチェックできる。

●判らないときは県議会に質問するのが一番の早道だったりして。

〒900-8501 沖縄県那覇市泉崎1-2-3
電話番号:098-866-2574


ジョン・ミッチェル、ヘザー・バウザーの沖縄訪問記


ジョンさんのジャパン・タイムズ記事、今回は先月来沖したヘザー・バウザーさんの沖縄訪問記。沖縄・ヴェトナム・アメリカが、痛みを共有する人たちによってつながろうとする奮闘の記録です。


ジョン・ミッチェル「エージェント・オレンジ問題で活躍する米国のアクティヴィスト、連帯のメッセージを携え来沖:ヘザー・バウザー、組織づくりをして政府に情報開示を要求しようと地元の人びとに語る」『ジャパン・タイムズ』2012年9月15日。

原文は以下。
Jon Mitchell, "U.S. Agent Orange activist brings message of solidarity to OkinawaHeather Bowser tells locals to start organizing and demand disclosure from government," Japan Times, September 15, 2012.

[写真キャプション]直接影響を受けた:8月末に訪沖し宜野湾市の米海兵隊普天間飛行場を見下ろす場所でインタビューを受けるエージェント・オレンジ第二世代のヘザー・バウザー。(撮影ジョン・ミッチェル)

  沖縄住民は最近、この島がかつて米国の枯葉剤エージェント・オレンジの主要な保管場所であったという山のような証拠に直面している。

 この18ヶ月間、何十名もの元米兵たちが、ヴェトナム戦中の沖縄島に駐留している間にダイオキシン汚染された薬物を浴びたと証言してきた。当時、島は米国統治下にあり、東南アジアの紛争の前哨基地となっていた。その東南アジアでは、隠れ蓑とし、食糧生産を行っていたジャングルから敵軍を追い出す目的で何百万リットルもの枯葉剤が散布された。先月発見された米軍の公文書が、沖縄駐留の元米兵たちの証言を裏付けるだろう。その報告書には2万5000本のエージェント・オレンジの缶が1972年以前の沖縄で保管されていたと記されていたのだ。

 この明白な証拠にもかかわらず、米政府は、沖縄におけるエージェント・オレンジの存在を否定し、東京は環境調査の実施を拒んでいる。両政府の強硬な姿勢は沖縄住民を怒らせ、島への影響の可能性について回答を求める多くの声を棚晒しにしたままである。先月、これらの人びとは、この枯葉剤の危険性を周知することに生涯を献げている人物と直接語り合う機会を得た。

20120808

枯れ葉剤の文書発見、との報道が県内紙でも

グアムと沖縄>ジョン・ミッチェルJapan Times枯れ葉剤報道第11弾


 同じくジャパンタイムズ紙8月7日に掲載されたもうひとつの記事。グアムと沖縄を枯れ葉剤問題という断面で比較すれば、通底する困難、共有すべき課題が明らかとなる。
 このような視角に立てば、海兵隊の移設先としてではなく、冷戦の過去の矛盾を等しく押しつけられてきた地域、今日の米国の「アジア太平洋」地域戦略という枠組みによって、都合よく捨て駒にされる地域として、すなわち、そこから共に抗するための協働性を見出すべきカウンターパートとして、見ることが可能になるのではないか。
 「ゴーディアスの結び目」とは解けない結び目のこと。アレクサンダー大王は結び目をほどく手間をかけずにバッサリと切ってアジアの覇者となったとの故事に由来する。帝国によって切断されるのではない運命を、アジアは想像してゆけるだろうか。



ジョン・ミッチェル「太平洋の毒物:グアム、沖縄、枯れ葉剤」『ジャパン・タイムズ』2012年8月7日。

原文:
Jon Mitchell, "Poisons in the Pacific: Guam, Okinawa and Agent Orange," Japan Times, Aug. 7, 2012.

1968年、当時19才の軍曹リロイ・フォスターがグアムのアンダーセン空軍基地、太平洋最大のこの米軍駐留地に到着した翌日、彼は上官から「植生管理任務」を命ぜられた。

「ディーゼル燃料とエージェント・オレンジを混合して、ジャングルの茂みを除草するため基地中をトラックで散布してまわった。先輩兵はだれもやりたがらない仕事だったから、トーテムポールでいえば最下層にいる自分にお鉢が回ってきたってわけだ」とフォスターはジャパンタイムズ紙に語った。

[写真キャプション]虹の戦士:ラルフ・スタントン。現在は軍の枯れ葉剤使用について調査の先頭に立っている彼は、1969年か70年のある時期、グアムで勤務し、「虹色の除草剤」のひとつ、エージェント・オレンジに被曝したと考えている。写真提供ラルフ・スタントン。

軍務が始まったばかりの頃、フォスターは吹き出物や腫れ物が体中に出来、布団に擦れて出血するのが大変つらかった。その後は何年にも渡ってパーキンソン病、虚血性心疾患など病気の連続だった。これらの病状は散布を命じられた毒性の高い除草剤が原因だと考えている。フォスターはまた、エージェント・オレンジのダイオキシンはその被害が次世代の健康にも及ぶほど長期にわたるもので、彼の娘が10代にして抗がん治療を受けなければならず、孫の手と足は12指あり心雑音を持って生まれたことも、このダイオキシンの影響だと考えている。

だがフォスターは幸運なほうだと言える。グアムでエージェント・オレンジによる病気を訴える数百の元米兵がいるなか、フォスターはこの島での被曝を原因として政府から補償を受けているわずか5名のうちのひとりだからだ。残りの者たちは、記録には「グアムのどの場所においてもエージェント・オレンジのような戦略除草剤の使用・試験・保管を示すものはない」とペンタゴンが主張しているため、救済を拒否されているのである。

この否定の仕方は、ジャパンタイムズの読者には見慣れたものだろう。本紙は、もう一つの米軍の軍事拠点である沖縄においてもこの毒性化学品が使用されたとの疑いについて米政府の調査を行ってきた。過去18ヶ月間、何十人もの元兵士がヴェトナム戦中の沖縄における除草剤について発言してきた。これらの退役兵たちと、ときにはその子供たちも、ダイオキシン被曝を原因とする病気にかかっている。しかし、米政府はかれらのうち3名の被害しか認定せず、沖縄でのエージェント・オレンジ保管・埋却・使用を一貫して否認している。

米軍による毒物汚染がグアムと沖縄で併行して起こっていることは憂慮すべき事態である。第一にこれらの島にエージェント・オレンジが持ち込まれた原因は、その共通の歴史にある。2200キロメートルの距離を置いて西太平洋に浮かぶグアムと沖縄はどちらも、第二次世界大戦の悪夢のような戦闘の目撃者であった。グアムは、かつて米の輸出基地であり、1941年12月に日本に占領されて2年半の残虐な占領を受け、1944年7月、米軍によって解放された。日本の県である沖縄は1945年春、米兵に1万2000名の死者と4万人の負傷者を出す戦闘の末、米軍によって占領された。

沢山の米兵の血で贖われたふたつの島は、多くの米国指導者たちにとって、過酷な戦闘の戦利品として獲得した領土であるとの意識が染みついている。第二次大戦終結の後、二つの島は徐々に地球上で最も軍事化された場所へと変貌し、グアムは銛の切っ先("Tip of the Spear")、沖縄は太平洋の要石となった。

軍事評論家たちには好まれるとはいえ、このニックネームは、島に暮らす人びとに押しつけられた周縁的な地位を覆い隠すものだった。1950年にグアムは非併合領を宣言、島内の民政を認定するものの住民は大統領選挙への参政権を持たない、この制度は今日まで続いている。1945年から1972年まで沖縄はアメリカ支配のグレーゾーンのなかで、米国、日本いずれの憲法の保護も受けない状態に置かれた。この制度によって、軍はその行動の責任を問われずにすむことになったが、それは他地域では困難であっただろうことであり、有毒除草剤の使用もその範疇に含まれる。

ペンタゴン自体の記録によれば、1952年グアムに初めて保管された枯れ葉剤は、5000本のエージェント・パープルのドラム缶であった。いわゆる「虹色の除草剤」のひとつで、容器の周囲に描かれた識別色によって命名されたエージェント・パープルは、エージェント・オレンジに先行するもので、さらに毒性の高いものとして今日では知られている。米軍は朝鮮戦争で使用するためグアムに除草剤を持ち込んだ。だが配備前に紛争が停止し、米政府によれば、その後グアムから撤去されたという。

軍の除草剤使用の研究を主導するラルフ・スタントンは、1969年から1970年にこの島に駐留した期間に自身も被曝しており、この出来事についての政府版の発表に懐疑的である。「国防省は米国に戻ったドラム缶の記録を持っていない。だから、彼らの発表は神話か虚偽だと思う。1950年代、船舶輸送コストは除草剤よりも高く付くものだっただろう」。

最初の在庫の行方とは関係なく、スタントンの調査で明らかになったのは、1960年代から70年代、米国がヴェトナム戦争に関与するにつれて、軍用除草剤は定期的にグアムで散布され、島を経由して東南アジアに向かい、敵地の食糧収穫や身を隠すジャングルを枯渇させる目的で大量に使用されたということである。ヴェトナムだけでも、赤十字の推定で300万の人々が今なお、この薬剤の影響による病状に苦しんでいる。

1970年代初頭に第43輸送部隊でグアム任務に就いたエドワード・ジャクソンによれば、これらの除草剤はよく目にするものだったという。「アンダーセン空軍基地にはエージェント・オレンジやその他の除草剤の大量の在庫があった。何千ものドラム缶があった。海上輸送のため海軍基地によく運んだよ」と、ジャクソンはジャパンタイムズ紙に語った。

これらの薬剤の毒性について知り得ている現在では、兵士たちは防護服を着て作業に当たっただろうと想像しがちである。だが軍と製造会社は何年もその危険性についての調査を抑え込んだ。「エージェント・オレンジは歯磨きに使っても大丈夫なくらい安全だと言われた」、スタントンは語る。

これら除草剤の取扱いだけでなく、処分もいい加減に行われた。ハンビー飛行場(現在の北谷町)、嘉手納空軍基地と海兵隊普天間飛行場に埋却したと元兵士が主張している沖縄と同様に、グアムの元兵士も同様の慣例に従ったと語っている。

ジャクソンによれば、除草剤のドラム缶は輸送中に破損することもあったので、アンダーセン空軍基地に放棄した。「トラックを、太平洋に落ち込んでいく小さな崖までバックさせた。私は自分で25本は捨てた。ドラム缶は殆ど空のものから、満タンのものまでいろいろあった」とジャクソンは説明する。

[写真キャプション]猛毒の遺産:米空軍退役兵のリロイ・フォスターが2010年、生まれて間もない彼の孫娘を抱いている。生まれたとき手と足に12本の指があり心雑音もあったが、この障がいは1960年代末に彼がグアムでエージェント・オレンジ被曝したことが原因だと考えている。写真提供リロイ・フォスター。

1990年代、米政府はこの手法を摘発しジャクソンがドラム缶を投棄した場所の環境調査を実施したところ、非常に深刻な汚染が発覚し環境保護局(EPA)による緊急浄化のリストに加えられた。この小さな島全域にわたって100カ所の同様の汚染地が確認され、一カ所の土壌からは1万9000ppm(認識されている安全値1000pptと比較されたい)のダイオキシン汚染も見つかり、この地球上でもっとも汚染された土地のひとつになった。住民をさらに驚かせたのは、これらの場所の多くが、島の飲料水の供給源である北部のグアム帯水層に近接していたことだった。

2007年、グアム大学元教授のルイス・サイフレスは、島民は「事実上、あまねく場所で虹色の除草剤の霧のなかで」生活していたと警告する。グアム住民における鼻咽頭(上咽喉)癌と糖尿病罹患率の急激な上昇が、彼の推測に根拠を与えているようである。

今日、米政府は島の汚染地域の大半を浄化し終えたと主張している。だがグアム大学準教授のリサ・ナティビダードはこの点について確証できないと見ている。「彼らの浄化されているという定義は不正確であることが多い。そのため独立研究者に依頼して国の主張を検証する必要がある」、彼女はジャパンタイムズ紙にそう語った。

だが、グアムの人々は沖縄住民と比べれば幾分ましなほうだ。米軍のダイオキシンで汚染されてきた島の土壌と水の状態について故意に無視を決め込まれているのが沖縄だ。
繰り返し、日米両政府は島におけるエージェント・オレンジ汚染の調査要請を拒絶している。よく知られるところでは2011年11月、ヴェトナム戦争中にエージェント・オレンジを大量に保管していたと指摘するジャパンタイムズの報道を受けて、名護市住民がキャンプ・シュワブ付近の環境調査を求めたことがある。

闇に葬られ、現在沖縄に暮らす人びとは、島の基地で暮らす米兵とその家族もそこには含まれるが、汚染の可能性について思案するしかない。普天間飛行場は、グアムにおけるアンダーセン空軍基地との共通点から特に関心を持つべきだ。双方の駐留地は60年以上にわたって軍に使用され、軍用機が問題なく操縦できるようにと、エージェント・オレンジに限らず、危険な薬物が日常的に垂れ流されてきた。アンダーセンのEPA報告書は、鉛、PCB、ヒ素を含む32種の「懸念すべき汚染源」を明らかにしている。普天間は、アンダーセン同様、網状に広がる洞穴と地下水源の上にある。さらに憂慮すべきは、アンダーセンは人口密度の低い地域にあるが、普天間は9万4000人の人口を擁する宜野湾市の混み合う中心部に位置している。

普天間閉鎖をめぐる論争は16年にわたって続き、米日関係を緊張させ、沖縄の人びとは試練に耐えている。だがアンダーセンとの比較が正しければ、閉鎖後も普天間の浄化には数十億ドルが必要となるだろう。日米地位協定は環境浄化に関する資金負担を全額日本の納税者に負わせている。これほどの金額がかかるならば、東京が、普天間閉鎖について長期に及んで解決の糸口も見えないままに放置してきたことは、さして不思議ではない。

グアムと沖縄の運命は、数千人の米海兵隊員の移駐という、太平洋を舞台とする「ゴーディアスの結び目」に絡み取られてきた。ナティビダード准教授は、この計画でグアムの指導者たちはペンタゴンに島の汚染地域の完全閉鎖を要求しにくくなったと考えている。「前知事は再編計画を危うくしてはまずいと、ワシントンで波風を立てることを恐れていた。現在の知事はもう少し自信を持っているが、彼が許可を求めてワシントンに圧力をかけても、汚染地域は浄化されていますとの回答が文書で届いただけだった」。

アメリカがグアムと沖縄にエージェント・オレンジを持ち込んだ理由は、過去の冷戦に根ざしていることが今日では明らかである。だが、ふたつの島におけるこれら有毒物質の存在を認めようとしないワシントンの拒絶は、ますます信じ難いが、それは、21世紀におけるこの地域の軍事戦略という網の目にきつく編み込まれて起こっているのである。

「私たち退役兵は米日間の政治的駆け引きの捨て駒になってきた」と元空軍曹のジャクソンは言う。「私たちは死を待つ軍隊なのです」。

エージェント・オレンジについて更に詳しい情報は、ラルフ・スタントンの総合的なウェブサイト[http://www.guamagentorange.info/]を参照されたい。今年5月に琉球朝日放送はジャパンタイムズが報道してきた沖縄におけるエージェント・オレンジ問題に焦点を当てたドキュメンタリー「枯れ葉剤を浴びた島」を放送した。日本民間放送連盟のドキュメンタリー賞にノミネートされ、最終選考結果は9月に発表される予定である。感想とご意見はcommunity@japantimes.co.jpまでどうぞ。

20120807

2万5千缶の枯れ葉剤、米軍文書で>ジョン・ミッチェルJapan Times 枯れ葉剤報道第10弾!

米軍の2003年報告書が、沖縄での枯れ葉剤保有について言及していたことが明らかになったとのジョン・ミッチェルの枯れ葉剤報道。ヴェトナム、沖縄、ジョンストン島のミッシングリンクをつなぐ文書が見つかった。

自らの健康被害と名誉を賭けて、沖縄の現状への関心をも重ねながら、この報告書の発見につなげたヴェテランたちの執念を、日米政府はどう受けとめるのか。

威勢の良い進軍ラッパの背後に隠蔽されようとしている「アジア太平洋」の傷の歴史を注視しなければならない。



ジョン・ミッチェル「2万5000本のエージェント・オレンジのドラム缶を沖縄で保管、軍の資料が言及」『ジャパン・タイムズ』2012年8月7日火曜日。

原文:
Jon Mitchell, "25,000 Barrels of Agent Orange Kept on Okinawa, U.S. Army Document Says," Japan Times, Tuesday, Aug. 7, 2012.

ヴェトナム戦中、沖縄に2万5000本のエージェント・オレンジのドラム缶が保管されていたということが、最近公開された米軍の文書で明らかになった。520万リットルに上ると思われる毒性の枯れ葉剤を入れたドラム缶が沖縄に持ち込まれたのは、保有していたエージェント・オレンジを太平洋上のジョンストン島に移送して焼却処分したと知られている1977年よりも以前であることは明白である。

軍の報告書は、沖縄におけるこの薬剤の存在を軍が認識していたことを示す初めてのものであり、エージェント・オレンジはこの島になかったと繰り返し否定してきたペンタゴンの説明と矛盾することになる。沖縄でこの薬物のため病を発症し、米国国務省の公式の調査を求めている10人の元米兵たちの尽力がこの報告書の発見につながった。

2003年の軍の報告書は、「ジョンストン環礁の生態アセスメント」[*訳注1]と題されている。冷戦期を通じて生物化学兵器を保管し処分するため米国が利用してきた小島における軍の環境浄化の取り組みについて概説したこの報告書は、「1972年、米空軍は、ヴェトナムにあって沖縄に保管していた2万5000本の55ガロン(208リットル)のオレンジ除草剤(Herbicide Orange/ HO)を、ジョンストン島に移送した」と述べている。

1970年代初頭、米国政府は有毒ダイオキシンを含有する除草剤が人体の健康に深刻な脅威となることを認識した後、ヴェトナムにおけるエージェント・オレンジ使用を禁止した。さらに、報告書の指摘する時系列を踏まえれば、このドラム缶は赤帽作戦(Operation Red Hat)、日本への施政権返還を翌年に控えた1971年、沖縄から1万2000トンの化学兵器を移送する作戦の一部であったことを示している。2009年に米退役軍人省は、赤帽作戦に軍用除草剤が含まれていたと発表していたが、「情報自由法」に基づく複数の申請など、この件に関する調査要求の試みを、米当局は妨害してきた。

この1年半、何十人もの元兵士が、ジャパンタイムズ紙に対して、1960年代から70年代の沖縄で散布、保管、処分したと語ってきた。当時、この島はアメリカのベトナム戦争における要衝であり、ヴェトナムで、米軍は何百万リットルものエージェント・オレンジを散布し、何万人もの自国軍の兵士と、3百万人に上ると言われるベトナムの人々が毒害をうけた。沖縄に駐留した多くの元兵士がこの除草剤に被曝したために同様の病を発症していると主張しているが、判っている限りで、米国政府が賠償を支払ったのは、そうした元兵士のうちのわずか3名だけである。

この軍報告書の発見を受けて、10名の元兵士は米上院退役軍人問題委員会に対し、沖縄における軍のエージェント・オレンジ使用の全貌を調査するよう求める書簡を提出している。「沖縄で除草剤すなわちダイオキシン被曝をした全ての元米兵に対して、また同様に沖縄に対しても、正しいことを行うよう強く求めています」と、元空軍曹のジョー・シパラがまとめ役となったこの書簡は述べている。

シパラは、1970年この島でエージェント・オレンジに被曝したと考えており、ほかの9名の元兵士たちと、ワシントンへ行き、この問題について上院議員に証言を行うよう求められた。かれら元兵士たちは、昨年、米国政府と日本の外務省が、元兵士たちの行った沖縄における枯れ葉剤の証言は疑わしいと発表したことに憤りを感じていた。

「立派に従軍し、偉大なアメリカ合州国と沖縄を守るため何年もの青春時代を犠牲にした男女たちの信頼性と誠実さを侮辱するものだった」とシパラは書簡で書いた。

シパラは、この書簡によって、米国政府はきっと、沖縄でエージェント・オレンジ被曝したと考えられる元兵士に対して補償を行ってくれる、との希望をジャパンタイムズ紙に語った。現時点で、政府はベトナム、タイ、朝鮮半島の非武装地帯で軍用除草剤に被曝した元米兵への補償を行っている。しかしペンタゴンが沖縄におけるこれら除草剤の存在を否定しているため、何百名もの元兵士たちが、補償を受けられないでいるのである。

フロリダを拠点として活動する研究者で、2003年の軍報告書を発見した人物であるジョン・オーリンは、沖縄における軍のエージェント・オレンジ使用について調査を継続すると語った。「現在、私たちはふたつの政府、自国の市民を欺くために積極的に手を組んできた日本とアメリカを相手にしている。この件に関して明らかに情報秘匿のキャンペーンがある、だからこそ、しっかり調べてやろうと考えているのです」。



[*訳注1]原文中の文献タイトルに訂正がありましたので、こちらも修正しました。ちなみにオリジナルの文書タイトルは"An Ecological Assessment of Johnston Atoll." です。2012年8月8日。

20120621

枯れ葉剤の報道、新報でも。そして沖縄BDは・・・

ジョン・ミッチェル枯れ葉剤報道のことが、『琉球新報』でも記事になっていました。
「普天間に枯れ葉剤か/元米兵「81年、地中にドラム缶」英字紙報道」『琉球新報』2012年6月16日。

★また、沖縄BDは沖縄県との交渉の様子を臨場感あふれる写真付きで紹介
★さらにOkinawa Outreachが、その県との交渉の様子を英文でレポートし、元米兵で沖縄枯れ葉剤被害者の情報交換Face Bookサイトに紹介したとのこと。

20120615

普天間、1981年>ジョン・ミッチェルJapan Times枯葉剤報道、第9弾!

ジョン・ミッチェル
「80年代に基地にエージェント・オレンジ、元米兵語る:漏れ出したドラム缶で普天間付近の住民が汚染の怖れ」 『ジャパン・タイムズ』2012年6月15日。 

オリジナルの記事は以下。
Jon Mitchell, "Agent Orange at Base in '80s: U.S. Bet Says, Nearby Residents of Futenma Possibly Tainted by Leaking Barrels," Japan Times, June 15, 2012.

※写真キャプション
[1枚目]裏切りの深さ:1981年夏に撮影された写真には、クリス・ロバーツが現場から掘り出した100本以上の漏出するドラム缶が写っている。(提供:クリス・ロバーツ)
[2枚目]クリス・ロバーツ
[3枚目]戦場にて:撮影年不明、21年間の従軍のあいだに撮影された、軍服に身を包んだクリス・ロバーツ。
---
米海兵隊が沖縄の普天間飛行場で大量のエージェント・オレンジの貯蔵を埋却し、このため基地で管理部門の長を勤めた人物が被曝し、付近住民や基地の土地を汚染した可能性もあることが、ジャパン・タイムズによる元米兵のインタビューから判った。

ドラム缶は明らかにヴェトナム戦争終結期に沖縄で廃棄された---ダイオキシンを含んだ枯葉剤を健康上の理由で米国政府が禁止したころだが、ペンタゴンは安全に処理する要求を無視した後、宜野湾市の駐留地に埋却されたと、1970年代と80年代に勤務した元米兵が語った。

20120517

「沖縄で実験」>ジョン・ミッチェルJapanTimes枯葉剤報道、第8弾!

ジョン・ミッチェル「エージェント・オレンジ「沖縄で実験した」:1962年ジャングルでの使用を文書が示す」
『ジャパン・タイムズ』2012年5月17日。

 (オリジナル記事はJon Mitchell, "Agent Orange 'Tested in Okinawa': Documents Indicate Jungle Use in 1962," Japan Times, May 17, 2012. [http://www.japantimes.co.jp/text/nn20120517f2.html]  ジャパン・タイムズ本紙またはリンクからジャパン・タイムズのサイトにてご覧下さい。)

[画像のキャプション]文書でたどる旅。ミシェル・ギャッツが持っているのがSSシャイラー・オーティス・ブランド号の航海日誌、ここで1960年代初頭、沖縄に枯葉剤を輸送したことが明らかにされている。提供・ミシェル・ギャッツ氏)

米国が1962年沖縄でエージェント・オレンジの実験を極秘裡に実施したことが、最近公開された文書により明らかになったと、退役軍人省の職員が語った。

この実験は、規定に囚われない戦闘技術の調査を行う機密計画、アジャイル計画の下で実現したと考えられ、米軍の元高官もこれを認めている。

20120516

5月20日14時テレ朝「米軍は沖縄で枯れ葉剤を使用した!?」

QABの「枯れ葉剤を浴びた島」に続いて、全国区ではテレビ朝日系列の「ザ・スクープ」で、沖縄における枯れ葉剤使用の問題が採り上げられます。
2012年5月20日午後2時より
「沖縄返還40年特別企画:米軍は沖縄で枯れ葉剤を使用した!?」
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/

この間の沖縄における枯葉剤に関する情報は、沖縄BDの「枯れ葉剤」関連記事一覧が充実しています。
http://okinawabd.ti-da.net/c187576.html

ジョン・ミッチェルさんの記事の翻訳などは、ここの「Agent Orange」関連記事で、バチっと予習・復習できますよー!
http://www.projectdisagree.org/search/label/Agent%20Orange


そして、ご紹介が遅くなりましたが、そのジャーナリスト、ジョン・ミッチェルさん、この週末の『ジャパン・タイムズ』に、施政権返還40年を考える記事が掲載されました。
Jon Mitchell, "What awaits Okinawa 40 years after reversion?: Looking back at Okinawa's troubled past ― and forward to its uncertain future," Japan Times, May 13, 2012.
http://www.japantimes.co.jp/text/fl20120513x1.html

過去を振り返りつつ、次の40年後は、どんな沖縄になっているだろうか、との問いを携えてインタビューした記事になっています。大田昌秀さん、比嘉光龍さん、吉川秀樹さんと、これまたバラエティに富んだ人選。(ちなみに左画像は、この記事の取材のため来沖したJM氏。)

ところでジョンさん、『ジャパン・タイムズ』のなかの「ツァイト・ガイスト」(時代の精神)コーナーへの寄稿で、過去10年間の記事から読者が選ぶランキング第3位に輝いていました。わーい、パチパチパチ(記事の挿絵がちょっと怖いケド・・・)。
http://www.japantimes.co.jp/text/fl20120508a1.html

入選したのはまさに、今回のQABのドキュメンタリで渡米しインタビューを果たしたジョー・シパラさんたちの、写真と証言を元に書かれた沖縄の枯葉剤についての記事でした。
http://www.japantimes.co.jp/text/fl20110412zg.html
日本語訳はこちらでどうぞ。
http://www.projectdisagree.org/2011/12/2011412.html

QAB番組中で言及されているジョー・シパラさんが開設したFBのサイトはこちら。
Agent Orange Okinawa
http://www.facebook.com/pages/Agent-Orange-Okinawa/205895316098692

ところでついでに。QAB「枯れ葉剤を浴びた島」は元米兵の当事者へのインタビューなど見どころ満載だったのだが、さらに個人的には
-ジョン・ミッチェルが沖縄の基地問題を人権の問題なのだと語っているところ
-国吉永啓さんがインタビューイーとして登場していること
-北部訓練場のゲリラ戦訓練の動画映像!
これらが特筆すべきポイントだと思いました。もう一度見直したらもっと沢山重要な点が出てくると思う。なんども繰り返して視聴すべき沖縄の大切なドキュメンタリがまたひとつ増えた。



20120416

元米兵が覆したエージェント・オレンジ否定論の封印>ジョン・ミッチェル枯葉剤報道第7弾


2012年4月15日
元米兵が覆したエージェント・オレンジ否定論の封印:沖縄の基地で有毒の枯葉剤を貯蔵していた、元米兵が語る
ジョン・ミッチェル
『ジャパン・タイムズ』への特別寄稿
[オリジナルの記事は以下。Jon Mithcell, "Okinawa Bases Stored Toxic Defoliant, Ex-soldier Says: U.S. Vet Pries Lid off Agent Orange Denials," Japan Times, April 15, 2012.
 画像はオリジナルの『ジャパンタイムズ』サイトでご覧下さい。以下にキャプションのみ訳しました。
(画像1 ラリー・カールソン)
(画像2 あまりに多くの苦痛:ラリー・カールソンが退役軍人省に送った様式には、1960年代沖縄でのエージェント・オレンジ被曝に由来する健康被害が列挙されている。提供、ラリー・カールソン)
(画像3 米陸軍の制服姿のカールソン。提供、ラリー・カールソン)
(画像4 ラリー・カールソンに補償を認定したことを示すVAの手紙。提供、ラリー・カールソン)
[翻訳者注:Webでは画像3と4が入れ替わっているようです。]


フロリダ州ジャクソンヴィル発---1965年と66年に、何千ものドラム缶のエージェント・オレンジが沖縄で積み降ろされ、那覇の港、米軍の嘉手納基地、キャンプ・シュワブに貯蔵されていたと、沖縄に駐留したアメリカ人退役兵が主張した。

4月初旬に、ジャパンタイムズと沖縄のテレビ局である琉球朝日放送が行ったインタビューで、元歩兵で67才ののラリー・カールソンは、また、沖縄の港湾作業員も貨物室で働いている際に非常に毒性の高い枯葉剤に被曝したと言い、嘉手納空軍基地で噴霧していたのも目撃したと語った。

カールソンは、沖縄で有毒の枯葉剤に被曝したことで米国政府から補償金を勝ち取ったわずか3名の米兵のうちのひとりであり、さらに一歩踏み出して、それらが大量にこの島に保管されていたことを明らかにした初めての人物となった。

彼の主張はその他の5人の米兵の証言と1966年米国政府文書によって裏付けられており、真実ならば、エージェント・オレンジは沖縄にかつて一度も貯蔵されたことはないと否定し続けるペンタゴンの主張の嘘を暴露するものとなるだろう。

「米国防省が調査したところ、(エージェント・)オレンジを南ベトナムに輸送する途上で沖縄に立ち寄った航空機や船の記録は発見されなかった」と在日米軍広報副部長のニール・フィッシャー少佐は、近頃、ジャパンタイムスに回答した。

だが、除草剤に被曝したカールソンへの補償金を認定した退役軍人省の裁定は、彼の発言の根拠となるだろう。

「私のことは氷山の一角に過ぎない。ほかにも大勢が私のように毒物を浴びたのに、VA(退役軍人省)が要求を退けている」、フロリダの自宅でのインタビューでカールソンは語った。「私はかれらに、しっかり足場を固めて踏ん張るようにと励ましているのです」。

米陸軍時代、カールソンは第44輸送部隊に所属し那覇軍港で1965年12月から67年4月まで任務に就いた。

「輸送船が(米国から)入港するたび、私たちはエージェント・オレンジのドラム缶を運んだのです。船から積荷を降ろすのにたっぷり12時間は働いた」と彼は言う。

「たびたび、トラックに降ろすときにドラム缶は漏れていた。私は少なくとも3度それを浴びたが、(貯蔵場所までドラム缶を)運んでいる間はどうすることもできず、兵舎へ戻るまで洗い流すこともできなかった」。

ヴェトナム戦期をもっとも彩った米商船、USSコメットとSSトランスグローブは、カールソンによれば、沖縄にエージェント・オレンジを輸送するために使われた。

平均して2ヶ月おきに輸送船は到着しており、なかでも1966年は最も頻繁だったと言う。

「苛烈な時だった。どこでも私たちの働き手を必要としており、何でも運んだし、そのなかにはエージェント・オレンジも含まれていた」とカールソンは語る。

積み降ろされた後、ドラム缶はいったん沖縄島に貯蔵され、そこから南ベトナムへ移送し、米軍は対ヴェト・コンの枯葉剤作戦のため大量のエージェント・オレンジをジャングルや耕作地に投下した。

ヴェトナム赤十字の推計では、戦後40年になる現在もなお300万人のヴェトナム人が除草剤に含まれていたダイオキシン被曝で苦しんでいる。

カールソンの主張は那覇港、嘉手納空軍基地、米海兵隊キャンプシュワブが今なおエージェント・オレンジのダイオキシン、すなわち土壌に何十年も残留し広範に及ぶ先天異常や死産、癌その他の疾病と関連してきた物質に汚染されているのではないか、という沖縄の不安をいっそうかき立てることになるだろう。

南ヴェトナムでは、米軍が駐留し除草剤を貯蔵していた土地は、今も高い毒性が残存している。

有毒枯葉剤が漏れ出したドラム缶の荷下ろしを地元の港湾作業員も補助していたというカールソンの証言を踏まえれば、沖縄の住民も自分たちの被曝の危険性について不安を感じているだろう。

1960年代半ば、おおよそ5万人の沖縄住民が米軍基地で雇用されていたのである。

カールソンはまた、嘉手納空軍基地で除草のため薬剤を噴霧していたのを目撃したことも覚えている。

「補給網がドラム缶10本ぶん(のエージェント・オレンジ)と要求すると、トラックがそこ(その基地)へ向かい、彼らの求めに応じて何でも積み降ろした。見栄えがよいようにと、フェンスの金網に噴霧作業をしている作業員がいた」と言う。

カールソンは、2005年になって初めて、ダイオキシンを含んだ枯葉剤を浴びたために病気にかかったのではないかと疑いを持った。

「壁に突き当たった。腎臓の調子がおかしかったのだが、パーキンソン病ではないかとの診断だった。その後、肺癌にかかり、左の肺の半分と右側の一部を摘出した」と言う。

カールソンはまた自分の被曝が子どもの健康にも影響したのではないか、遺伝的疾患の可能性を心配している。彼の娘たちはタラセミア(地中海貧血症)という非常にめずらしい遺伝性の血液疾患をかかえており、そのうちふたりは死産であった。

カールソンが2006年に初めて救済を申し出たとき、VAはその要求を却下した。ヴェトナム戦争の退役兵は、14種のダイオキシンに関連する疾病への補償を自動的に認められているが、ペンタゴンが沖縄におけるエージェント・オレンジの存在を否定しているため、カールソンの最初の申請は撃沈されたのである。

だが、彼は粘り強く補償を求める闘いを行い、那覇港で一緒に作業した従軍仲間の証言を5件集めた。証言は全て、大量の除草剤が港を通って輸送されたというカールソンの主張を裏付けた。かれらのうちふたりは、虚血性心臓疾患と前立腺癌を含むダイオキシンに関連する病気に罹っている。

カールソンはまた、1966年米空軍の文書を突き止めたが、そこには、民間の技術担当者が18日間の出張でフィリピン、台湾、沖縄を訪れ、海軍・空軍兵士たちに除草剤の安全な取り扱いについて指導したことが書かれていた。

カールソンのような歩兵は、しかし、こうした訓練を受けず何の防護具もなしにエージェント・オレンジを取り扱った。

「簡単でも講習会があったなら、汚染を免れることができた者もいただろう」とカールソンは語った。

この文書はカールソンの形勢に有利に展開した。

2010年7月、フロリダ州セント・ピーターズバーグのVA地方事務所は、彼に対して沖縄でのエージェント・オレンジ被曝を原因とする最高額の障害補償を認定した。

「肺癌・・・について提出されたあなたの要求は、VAの所有する情報と証拠で立証されたと裁定しました」と、事務所から彼が受け取った手紙には記されていた。

カールソンは現在、ダイオキシンの影響を抑制するために毎日飲む20種以上の薬代など医療費の支払いに充てるため、月に2千800ドル(約22万5千円)を受けている。

「手紙を受け取ったとき、自分は恵まれていると感じた。見えない手が決定を下す人物の心に触れてくれたおかげで、私の要望が認可されたと思った。VAには本当に感謝している」と彼は語った。

昨年中に、30名以上の元米兵が、『ジャパン・タイムズ』紙に対して、1961年から1975年に、沖縄にある15カ所におよぶ駐留米軍施設に配属されている間に、エージェント・オレンジ被曝したため病気になったと語っている。

米国政府の記録によれば、さらに130名の元米兵が、カールソンと同様の補償要求を申立てており、専門家によれば、被曝した者の数は何千人にも上る可能性があるという。

VAが補償要求を認めたのは他にあと2件だけである。

ひとつは1961年から1962年の間に沖縄で除草剤に被曝したため前立腺癌を発症した元海兵隊員で、彼は1998年に補償を認められた。

もうひとつは、別の海兵隊員の申立に関するもので、沖縄に駐留し、1970年代初頭に沖縄で、ヴェトナムから輸送されてきた汚染された機材を取り扱ったためにホジキンリンパ腫と2型糖尿病にかかったというものである。

NPO団体のヴェトナム戦争米退役軍人会でエージェント・オレンジ/ダイオキシン問題委員会の座長を務めたポール・サットンは、沖縄で除草剤被曝した元兵士すべてに対して、ペンタゴンが態度を軟化させ全面的な被害補償に向かうかどうかについて、疑問を呈している。

「米国政府は沖縄に駐留した退役兵の補償認可について、必死の抵抗を試みるだろう」とサットンは語る。

「そんなことをすれば、他国の政治国境線内に除草剤を保管しないという条約に違反したことになる。ワシントンはまた、沖縄での(エージェント・オレンジ)被曝認定を勝ち取るため一歩踏み出して闘う元兵士はそんなに沢山現れないだろうことに賭けているのだ」。

20120415

沖縄の枯葉剤で新しい証言の報道

ジョン・ミッチェルさんの枯れ葉剤取材が、ジャパンタイムズの一面に掲載されました。
沖縄で浴びた枯葉剤を原因とする健康被害で、退役軍人省から補償を認定されたのは、これまでわずか3名のみです。
そのうちの1人が、証言しました。


Sunday, April 15, 2012

Okinawa bases stored toxic defoliant, ex-soldier says
U.S. vet pries lid off Agent Orange denials

By JON MITCHELL

Special to The Japan Times
JACKSONVILLE, Florida — Thousands of barrels of Agent Orange were unloaded on Okinawa Island and stored at the port of Naha, and at the U.S. military's Kadena and Camp Schwab bases between 1965 and 1966, an American veteran who served in Okinawa claims.


Larry Carlson
In an interview in early April with The Japan Times and Ryukyu Asahi Broadcasting Co., a TV network based in Okinawa, former infantryman Larry Carlson, 67, also said that Okinawan stevedores were exposed to the highly toxic herbicide as they labored in the holds of ships, and that he even saw it being sprayed at Kadena Air Base.

Carlson is one of only three American servicemen who have won benefits from the U.S. government over exposure to the toxic defoliant on Okinawa — and the first of them to step forward and reveal that massive amounts of it were kept on the island.

続きはジャパンタイムズのサイトでどうぞ!

20120413

環境総合研究所から枯葉剤問題の意見書

 発表されていた!
池田こみちさんによる解説
>沖縄BDによる紹介「枯れ葉剤問題意見書~市民参加を考えるみんなに読んでほしい提言」

池田こみち「米軍による沖縄県内における枯葉剤問題への適切な対応についての意見書」環境総合研究所2012年3月14日。(PDFをここからDLできます

「4-1問題解決の道筋」から「(2)目標を達成するための方針」(pp.23-24)を以下に転載する。

(2)目標を達成するための方針(シナリオ:Scenario)
 2007年に北部訓練場で枯葉剤が散布された可能性があるという報道があったが、米国政府が事実関係を照会した防衛施設庁と外務省に対して、2007 年 7 月 13 日までに枯葉剤使用を裏付ける情報はなかったと回答し、両省庁がこれを受け入れたことによりこの問題はすぐさま沈静化した。また、2011 年にJM氏がジャパン・タイムス紙において問題提起をした後も、沖縄県内では 多くの報道がなされたにもかかわらず、東日本大震災の後だったこともあり、全国紙・主要メディアではほとんど取り上げられることもなく、極めてローカルな問題にとどまっているのが実態である。
 しかし、沖縄県内における枯葉剤問題は、過去のことではなく、現在も続いている沖縄県内の米軍基地に依拠する環境問題を象徴する問題であり、日本全体の問題として国民全体が関心を持ち、行動していくことが求められる問題である。したがって、まずは、広く情報を日本全体で共有化し、問題解決に向けた取り組みを盛り上げていく必要がある。
 また、この問題は、ヴェトナム戦争当時、その有害性について何も知らされず沖縄で枯葉剤に晒された米兵、散布実験や廃棄、投棄などに関連して直接、間接に枯葉剤など有害物質に曝露した可能性のある沖縄県民の双方にとって共通するリスクを内包しており、双方の市民レベルの連携による問題解決が可能なはずである。
 例えば、以下のような方法が考えられる。
1)沖縄における枯葉剤問題をわかりやすく日本全体に向けて発信していく。
2)枯葉剤に曝露したことにより健康被害を受けている米退役軍人やその家族などともゆるやかな連携をとりながら、情報の継続的な交流を行い問題解決に向けた協力を継続していく。
3)関係市町村が複数あり、それぞれが抱える問題が異なっているために、ともすれば市町村がばらばらな対応をしてしまう可能性があるが、関係市町村は基礎自治体として相互に連携し、沖縄県、日本政府、米政府に対して、継続的に情報の開示・提供をもとめ、その結果を広く市民と共有しながら、市民とともに闘う姿勢を明らかにしていく。
4)市民レベルでも枯葉剤問題、ダイオキシン問題についての基礎的な情報の共有化、学習の機会をつくり、情報発信を継続していく。
5)その一環として、市民の立場からの調査についても検討を行い、必要な資金調達についても経営的なセンスを持ちながら各方面への働きかけを行っていく。
6)第三者の専門家などの支援を受けながら、信頼できる情報発信に努める。
7)韓国政府の対応や、韓国に対する米政府の対応などについての情報収集を行い、韓国側の市民サイドとも可能なら連携を取り、同等の対応を日本政府、米国政府に求めていく。

 意見書は、市民による参加・問題への積極的な介入が非常に重要であることが繰り返し強調されている。それはまさに、ジョン・ミッチェルさんと沖縄BDが目下取り組んでいることで、そこからさらに一歩進むにはどうすればよいのか、その方法が問われている段階だ。この意見書は、専門家による「方法」解説書の体裁をとっているが、この意見書そのものが、上記で言われている「方法」を実践しているのでもあるのだ。市民運動、住民運動のマニュアルとして熟読し、実践そのものとして多くを学び取りたい。

20120215

元米兵が補償を認定されていた>ジョン・ミッチェルの枯れ葉剤報道第6弾

2012年の枯れ葉剤報道、一発目来ました。ジョン・ミッチェルさん今年もこつこつと問題を明らかにしてくれそうです。このジャパンタイムズの記事をもとに、『琉球新報』もこの件を報道しています(高江のblogで紹介されていました)




ジョン・ミッチェル
<時代の精神>
「元米兵が沖縄でのエージェント・オレンジ使用で補償金を勝ち取る
:那覇港で荷下ろしの米兵、ヴェトナムで汚染された装備を扱った元海兵隊員」
『ジャパン・タイムズ』2012年2月14日。

オリジナルはこちらから。
Jon Mitchell, "Vets Win Payouts over Agent Orange Use on Okinawa," Japan Times, February 14, 2012,
[http://www.japantimes.co.jp/text/fl20120214zg.html].



[写真解説]猛毒の遺産:1970年初頭、キャンプ・シュワブでこちらを見ているロナルド・フレイザー。当時、沖縄島北東部のキャンプで何百ものエージェント・オレンジのドラム缶を目撃したと主張している元米兵のなかのひとり。


米国退役軍人省は、さらに二人の元米兵に対して1960年代から70年代の沖縄に駐留しエージェント・オレンジ被曝した補償を認定していた。

まず、陸軍のトラック運転手が、1966年、那覇港でドラム缶の積み下ろしの際にダイオキシンに汚染された枯れ葉剤に触れたため、肺がんの医療補償を受けていた。もうひとりは、1970年代初期にこの島に駐留した元海兵隊員で、ホジキンリンパ腫とII型糖尿病を発症したのは、ヴェトナムの戦場から沖縄に送られた汚染された軍装備の作業に携わった結果であると、退役軍人省が裁定した。

この2件の成功した請求例が発見されるまで、沖縄におけるエージェント・オレンジ被曝で補償を勝ち取った退役兵はこれまでただひとりだけだと広く考えられてきた。その1998年裁定は、本島北部のジャングルで被曝した兵士についての事例で、2007年に報道された際に元米兵や沖縄住民を驚愕させた。

沖縄はヴェトナム戦争の前線基地の役割を果たしていたにもかかわらず、そしてこの戦争で米軍は7600万リットルの枯れ葉剤を使用したにもかかわらず、ペンタゴンは、エージェント・オレンジ輸送がこの島を経由したことはないと繰り返し否定し続けている。

那覇港で被曝した陸軍トラック運転手についての最近発覚した退役軍人省の認定は、2010年7月の決定である。補償要請書のなかで元兵士は、1965年から1966年の間に第44輸送部隊とともに港湾作業に従事したと説明している。かれの説明によれば「ヴェトナム共和国の戦争で輸送支援を行った。われわれの任務は大型輸送船からの荷下ろし作業だった。55ガロン入りの除草剤のドラム缶や、燃料、溶剤、その他の物資を扱った。われわれは積載と積み下ろしとでドラム缶を取り扱ったが、それらのドラム缶は漏れていることも多く、それで手や服を汚した」。

この元米兵の要請は、那覇港でエージェント・オレンジに被曝したという彼の主張を傍証する5人の仲間のGIたちの「友人の証言」に支えられていた。裁定に際して退役軍人省は「除草剤に被曝したことに由来する肺がんは、退役軍人省が所有する情報と証拠によって裏付けられた」と判断した。

助言を行った5人の元兵士が、エージェント・オレンジ被曝で補償を受けているかどうかは不明である。

元海兵隊員に関する事例について、退役軍人省は2008年9月に裁定していた。当局の文書によれば、この兵士は「1972年から1973年に日本の沖縄で海兵隊の倉庫作業員として服務した。彼の主張によれば、彼の所属する第3海兵師団第3海兵大隊(the 3rd Service Battalion)はヴェトナムで展開していた戦闘部隊から修理と除染のため装備を受け取っていた」。

この病気を患う元米兵の主張を、別のふたりの海兵隊員が支持した。ふたりは、ベトナム戦争も終盤にさしかかった時期、エージェント・オレンジに汚染された物資を除染のため沖縄に輸送するのはよくあることだったと発言している。退役軍人省の文書には、この被曝の起こった駐留地を特定する文言はないが、当時、第3海兵師団の本部はうるま市のキャンプ・コートニーにあった。

この裁定で退役軍人省は、「元米兵は1972年から1973年沖縄駐留中に、ヴェトナム紛争で使用された除草剤に被曝した」とみなし、ホジキンリンパ腫とII型糖尿病の健康補償を認定した。

この認定に成功したふたつの事例に加えて、退役軍人省の記録から明らかになったのは、ヴェトナム戦争期の沖縄に駐留した際にエージェント・オレンジ被曝したと主張する元米兵が、1996年から2010年の間に132人にものぼるということであった。かれらの説明は、この島で枯れ葉剤が広く貯蔵、使用されていたことを示している。1962年に予備の枯れ葉剤がキャンプ・ズケラン(現在のキャンプ・フォスター)で廃棄されたという証言、1970年代初期に嘉手納空軍基地に何百というエージェント・オレンジのドラム缶が保管されていたとの証言もある。

この132名の元兵士は米国政府がエージェント・オレンジ被曝に関係すると認定している「推定条件」の1つ以上の症状に悩まされている。

1962年から1975年のあいだにヴェトナムに足を踏み入れた全ての米兵、また朝鮮半島非武装地帯とある期間のタイで軍務に就いたものも、これら14種の症状について補償が適用される。だが、ペンタゴンが、沖縄で枯れ葉剤類の存在を示す文書がないと主張しているために、132名の要求の大半が却下された。要求のうちおよそ10パーセントについては、しかし、退役軍人省は、国防省や退役軍人省の地方支局からの追加情報を受理するまで裁定を先送りにしている。

ミネソタで沖縄のエージェント・オレンジ調査を行っている退役軍人省の職員、ミシェル・ギャッツは、この132名が氷山の一角に過ぎないのではないかと案じている。[追記:氏名のカタカナ表記をミシェル・ギャッツさんに改めました。2012年5月17日]

「ほかにも多くの元兵士が、要求を提出するために必要な書類作業の段階で黙らされている。裁定を待っている間に亡くなった人たちもいる」とガッツは語る。「沖縄でエージェント・オレンジ被曝したため病気になった兵士の本当の数は132よりもずっと多いだろう」。

いっぽう、このふたつの成功例が、沖縄でダイオキシン被害を受けたかれらの広範な補償へのとびらを開くだろうとの希望を抱く元兵士たちは、失望させられるかもしれない。退役軍人省の方針では、裁定は前例とはならず、つまり要求はそれぞれの実績によって判断され、前例によって決定されることはないからだ。

沖縄のエージェント・オレンジ問題で草の根の運動を牽引するジョー・シパラは、今日の経済的な雲行きが退役軍人省の決定の行く末に影を落としていると見ている。

「米国は何兆ドルという債務を抱えている。ヴェトナム退役兵のための完全な補償などないだろう。しかし朝鮮半島非武装地帯やタイで軍務に就いたものたちと同じように、沖縄の元米兵に対してもさらに補償を開始することを望んでいる。かれらはあの島に駐留し特定の基地で一定回数、枯れ葉剤を扱ったのだから」。

この問題についてのご意見・ご提案は community@japantimes.co.jp まで。



「『ホットスポット』での公的なダイオキシン調査が求められている」
昨年4月、『ジャパン・タイムズ』は沖縄のエージェント・オレンジ被曝を証言した三人の元米兵について報道した。それ以来、30人もの元兵士が、この島の12か所以上の基地で枯れ葉剤を輸送、貯蔵、散布、埋却した経験について口を開き始めている。

これらの主張は沖縄の住民への警鐘となった、かれらは南ヴェトナムにおけるエージェント・オレンジ汚染の残した遺産、赤十字によれば3百万人が罹患し、高度にダイオキシン汚染されたホットスポットが元米軍駐留地に残っている、ということをよく知っている。

沖縄での関心の焦点は3カ所、やんばるのジャングルに囲まれた東村、名護市のキャンプ・シュワブ、そして北谷町である。

[写真解説:不毛の地。沖縄北部やんばるのジャングルで、ダイオキシンのホットスポットの可能性のある場所を検分する東村住民の安次嶺現達さん。撮影ジョン・ミッチェル]

東村
昨年、『沖縄タイムス』のインタビューに答えた米軍高官によれば、1960年から1962年のあいだに東村付近のジャングルで枯れ葉剤の試験が行われていたという。

1963年、ペンタゴンはその土地の一区画を民間地に返還したと思われるが、今日に至るまでそこは不毛の地のままである。地元住民の話によれば、生えてくる若木も根が50センチメートルくらいの深さに達すると枯れてしまうのは、土壌の基底がひどく汚染されているからではないかとのことだった。その駐屯地で雇われていた民間人が何名か、癌で亡くなっているとの噂も、心配に拍車をかけている。

最近のインタビューで、東村住民の安次嶺現達さんは、「政府にこの地域の調査をして欲しくはあるが、かれらが本当の結果を明らかにするかどうか信用できない。だから独立した機関による調査を求めています」と語った。


キャンプ・シュワブ
1970年代初期この基地に駐留した複数の元米兵が、大量のエージェント・オレンジがシュワブに貯蔵され、実戦訓練のため北部のジャングルに輸送されたり、基地内で除草のため散布されたと主張している。

当時キャンプ・シュワブ付近に住んでいた住民は、この枯れ葉剤の影響について目撃していた。沢山生えていた海草類が姿を消し、貝から黒い油性の物質が出てきたのである。さらに、貝類を食べた地元の人々が相次いで亡くなったのは、ダイオキシン汚染が原因ではなかったかと心配している。

11月24日、キャンプ・シュワブでダイオキシン調査を行うよう求める名護市民の要請は沖縄防衛局によって却下されたが、当局は元米兵の証言には信憑性がないと述べた。そこで名護市は12月、この地域における枯れ葉剤使用についてより多くの情報を得るため、地元住民の聞き取り調査を独自に行うことを発表した。


北谷町
8月、1969年、ハンビー飛行場(現在の北谷町)に何十ものエージェント・オレンジのドラム缶の埋却を目撃したという元兵士の証言で、現在人気の観光スポットに警戒を呼び起こした。

埋却した疑いのある場所の近くで、2002年に大量のドラム缶が発見されていたことが、かれの説明を裏付けていた。そのドラム缶からは、タールのような物質が漏れ、米国製のラベルが付いていたが、ダイオキシン調査がなされないまま、地元自治体によって焼却処分された。

一般住民の関心に応えて、北谷町議会は12月に、この地域のダイオキシンサンプル調査を実施するための予算を決定した。調査は、町の許可を待って、2月末に実施予定である。

20120127

『沈黙の春を生きて』@桜坂劇場、31日はジョン・ミッチェルさんトーク

桜坂劇場で『沈黙の春を生きて』
1/21-27 13:00-
1/28-2/3 13:30-

上映期間中に、本作のパンフレットにも寄稿しているライター、ジョン・ミッチェルさんトークあります。
【日時】1月31日(火)13:30の回終了後 (15:00頃より15分程度)
■ジョン・ミッチェル■プロフィール
ウェールズ生まれ、横浜在住のライター。 彼の沖縄の社会問題に関する記事は日本や 米国の雑誌や新聞に掲載されている。2011年8月、彼の沖縄枯葉剤問題リサーチの結果、日本政府は米国防省に沖縄での枯葉剤の貯蔵と使用について再調査を依頼した。www.jonmitchellinjapan.com
合意してないブログでは、もちろん一連の枯葉剤報道でおなじみ。

20120101

高江テントおでん

あけおめー。
ことよろー。
そうぐわちは恒例、高江N4テントでおでん!やっとります。
きてね★
三が日は、GP当番なので、AGENT ORANGE OKINAWAバッジ(カンパグッズ500円)扱ってまーす。

20111228

ジョン・ミッチェルの枯葉剤論文 Japan Focus ID 3659

Japan Focusサイトで公開されているジョン・ミッチェルさんの枯葉剤論文、三つ目の翻訳の試みです。
オリジナルのサイトには写真もあります。また、本論の内容は『ジャパン・タイムズ』既出の記事の、拡充版となっていますので、こちらも併せてどうぞ。


Jon Mitchell, 'Agent Orange on Okinawa: Buried Evidence?,' The Asia-Pacific Journal Vol 9, Issue 49 No 2, December 5, 2011.
http://www.japanfocus.org/-Jon-Mitchell/3659

ジョン・ミッチェル「沖縄のエージェント・オレンジ:埋却された証拠?」

人の多く賑わう沖縄の北谷町で、有害な枯葉剤エージェント・オレンジがドラム缶数十本ぶんも埋却された場所を、元米兵が特定した。埋却が疑われるのは、この一帯がまだ米軍のハンビー飛行場の一角であった1969年のことである。1981年に民間利用のため返還されて以後、観光地として再開発され、付近にはレストランやホテル、アパート街、人気のビーチがある。

最近、米海兵隊普天間飛行場、嘉手納基地、キャンプ・シュワブなど在沖米軍基地内でエージェント・オレンジの埋却に関する主張がいくつも出てきている(1)。本論を執筆している今日の時点で、日米両政府はこれら駐留地への環境調査を拒否している。だが、民間地で埋却の疑いが特定されたのは今回が初めてあり、独自のダイオキシン調査実施に道を拓くことになる。