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20170218

"Free Okinawa Protesters" voice from Vieques

プエルトリコのビエケス島から。
「沖縄の抗議者を解放せよ!」
「沖縄を軍隊から解放せよ!」
という支援の気持ちが写真になりました。

このなかには、前に沖縄に来て下さった人も、これから行く人も、そして、2001年に沖縄からビエケスに行った平和市民が交流した人もいます。判るかな。

そして、この写真に収まっている人々の約半数は米軍射爆場に入って実弾演習を止める「市民的不服従」で逮捕収監された経験者でもあります。沖縄の辺野古・高江の抗議者たち逮捕の人権侵害を、直観出来る人々です。力強いエールが、沖縄の友に届きますように。

これは2月16日、ビエケスの博物館エル・フォルティン・コンデ・ミラソルにて、グアムからもskypeでつながって、ビエケス島でグアムと沖縄の現状報告、意見交換会議をしたときの写真です。沖縄で起こっている基地反対運動弾圧に抗議の支援をと話したところ、さっそく写真を撮ろうということになりました。「解放せよ!」のサインはFoEさんのところから拝借、プリントアウトして "and other protesters" と書き加えてあります。

グアムからの報告では、海兵隊の移駐問題のほか、北マリアナのテニアンやパガンの演習の問題なども指摘されました。どこかの負担が減って、どこかにシワヨセが、という問題ではもはやないようです。ただただ拡散している。

参加者から「なぜグアムや沖縄に米軍基地があるのですか」という質問がありました。基地問題で地域交流しようとするといつも出てくる質問、でもバチっと切り返す回答がいつも見付からない質問でもあります。「こっちが聞きたいよ」と言いたいんだけどね。

地理的優位とか戦略的要衝とかどこかの国の脅威とか、そういうプロパガンダはさておきでね、というのは当然の前提で議論が始まる。グアムからは、植民者意識という言葉。ビエケスでも沖縄でも同じ批判が膨れあがっているからよくよく判る。そして、あのVision 2025という海兵隊の文書のことが頭に浮かびました。あの文書のなかには、「自分たちの機会を最大活用する」みたいな言い方が出てくる。グアムもビエケスも沖縄も、かれらには「自分たちに与えられた機会」にしか見えていない、それくらいしか、米軍が駐留している理由はないんじゃないか、と言いたかったけど、うまく伝わらなかったかも。

ビエケス島では米海軍射爆場の撤去を求めて何十年もの抗議運動があり、2003年についに閉鎖を勝ち取りましたが、残存する不発弾(劣化ウラン弾、化学兵器も含まれます)の処理、癌の多発に代表される健康被害、撤退後も米国環境保護区に囲い込まれて進まない環境浄化など、問題は解決していません。ここには返還と環境保護の美名で覆い隠そうとする、長い死と破壊がある。

前日の15日には、ビエケスの演習場跡地の環境浄化・不発弾処理について管理する委員会が地元で開催されるとあって、「地域の人々の声を聞け」と意見表明をするデモンストレーションがありました。

直前に、射爆場訓練が新生児出産に影響したことを示す研究成果が新聞報道されたことから、手書きのサインボードも怒りがこもっています(写真右上)。みんながつけている防塵マスクにはドクロのマーク。訓練場閉鎖後の不発弾の爆破処理による粉じん汚染の被害を物語っています。癌を克服した人々が、委員たちに対して真摯に訴えていました。

右下の写真は、ちょっと判りにくいですが、ビエケス島の地図の上に、爆弾が投下された場所を示すフラグを立てるというアートピース。地元のアーティストの作品です。フラグは通常兵器・化学兵器・劣化ウラン弾など色分けされていて、見ただけで胸が苦しくなります。

¡Vidas Viequenses valen! ビエケスの人々の命が大事。
過去の汚染と被害が未だ未解決なのに、新たな場所に被害を拡散させることなど、とうてい承服できないと思いました。