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20120831

強行なら全基地閉鎖と、7月に知事は言った。

「強行なら全基地閉鎖」だと
夏の初めに知事が言った。

その衝迫をみんな忘れていない。

言葉には魂が宿るだろう。

魂の宿った言霊に

いつか身体が宿るだろう。



「差別ではない」とかいう困った政府のせいで世話が焼けるね

沖縄BDのblogで、日本政府の国連に対するみっともない回答への、コメントが紹介されているので要チェックだ。scribdといっしょに希望も埋め込まれている!
Comments on the Response of the GoJ 15 Aug(J)

9月2日深夜、QAB、待ちに待った高江ドキュメンタリ

QABドキュメンタリ
「標的の村:国に訴えられた沖縄・高江の住民たち」
9月2日(日)深夜2時10分〜2時40分

番組特設サイトの末尾にある詩に、ちょっとばかり「ん?」という違和感があるけれど、これは、番組を見てみないことには何とも言えない。見れば判ることだろう。

いずれにしても、次々と受賞作を連発するスタッフたちによる渾身の、そして待望の!念願の!高江のドキュメンタリなのだから、台風で県民大会が延期になったために、絶好のタイミングで放送されるのだから。全国のネット局での放送時間一覧も番組サイトに出ています。



20120827

沖縄県の高江への向き合い方

 


「オスプレイ:安全根拠 県が国に説明要求」『沖縄タイムス』2012年8月18日 09時45分
  県は17日、オスプレイ配備に伴う米軍の環境審査(レビュー)報告書について44項目の質問状を防衛省に提出した。安全性や騒音、動植物への影響など分野ごとに詳細に尋ね、「重大な環境問題は生じない」という結論を導き出した根拠を説明するよう求めた。  ヘリ着陸帯の運用で、オスプレイの下降気流が台風並みの風速約21メートルであっても「鳥類の巣やねぐらに被害を与えない」とした根拠を要求。北部訓練場に建設予定の着陸帯6カ所の騒音予測図を示すよう求めた。(1面参照)  普天間飛行場での夜間運用が増える理由を尋ねたほか、8年前に沖国大墜落事故を起こしたCH53ヘリに放射性物質ストロンチウム90が搭載されていたことを踏まえ、オスプレイの放射性物質の有無も聞いた。  騒音について、ヘリ(回転翼)モードの割合は総飛行時間の5%と言える理由を質問。低周波音被害への認識も尋ねた。

 「県、オスプレイ配備で質問書 米環境審査で初」『琉球新報』2012年8月18日。
 米軍普天間飛行場への垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備について、県は17日、防衛省に対し、米海兵隊が実施した環境審査(レビュー)書に関する質問書を送付した。海兵隊の環境審査に対する質問書の提出は初めて。下地寛環境生活部長は「(審査書では)基本的に配備による環境への影響はないとしているが、そう理解するには疑問が多すぎる」と述べ、国としてどのように判断しているのかについても見解を示すよう求めた。

高江のblogで少し前に採り上げられていた記事だ。台風で家に閉じこもっている時間を利用して読み直してみた。高江のblogに書かれているとおり、この記事は異様な内容を伝えている。仲井真県政は問題があると認識しつつ、高江の工事を容認している矛盾を露呈した。もっと言うと、せっかく創設したご自慢の「地域安全政策課」は何してんだっつーの。又吉知事公室長は公費つかってアメリカまで行ってきたんだから、信用できない日本政府にではなく、問い合わせるべき相手は米国だったはず(地域安全政策課の問題については、この記事とかこの記事を参照して下さい)。沖縄県の高江への向き合い方の異様さが、これほどまでに露出した記事はないと思う。どうしてこんなことになるんだろう。

この報道の後、週明けの21日には、再び高江に早朝から工事作業員が入ってN4の工事を進めた。

この工事については22日、タイムスが、村長と防衛局長との「意見交換」があったという驚き呆れる事実も含めて報道している。同じ22日、新報は1面トップでケネス・グラック中将の発言を報じた。23日には、キャッチアップする批判記事も載せている。
「オスプレイ配備は県民大会後/米四軍調整官『最も安全な航空機』」『琉球新報』2012年8月22日1面。
「海兵隊資料と矛盾/四軍調整官『安全』発言/オスプレイCH46より高事故率」『琉球新報』2012年8月23日2面。




オスプレイの報道だけに注目してしまうと、「オスプレイは安全」「安全はウソ」の情報合戦みたいになっているけど、そういう読みは不毛だ。

ジャパン・ハンドの巣窟シンクタンクや日本の防衛・外務官僚スジの情報提供に支えられた発言は、沖縄への配備、辺野古基地建設、高江着陸帯新設、これらの推進を目的としている、という当たり前の点を確認しておこう。安全と強調しているのは、政策として推進しようとしている側だ(蛇足だがケネス・グラック中将といえばあの「トモダチ作戦」で海兵隊を喧伝したスポークスパーソンにほかならないことも覚えておこう)。

安全かそうでないかは、こうした利害とは距離を置いて、利害とは切り離して審査されなければならない、されるべき、されているハズ、というのが神話であるのは、原発を見れば一目瞭然。やっかいなのは、原発同様、政策対立の上位のレベルに立って裁定する機関・機能が、日本政府に備わっていないことだ(これも蛇足だが、常識的に考えて、絶対安全な航空機などない。だから航空機の安全は確率の問題ではなく厳しい法規制のなかに置かれて、かろうじて許容できるもの、軍隊の長が「安全」などと言うこと自体馬鹿げているんだけど)。

切り離して考えるということは、立場をひっくり返しても通用するよう考えてみるということではないか。

(A)たとえば推進する側が「確かに危険、だけれども配備を進める」との立場を主張するなら、そのために必要な施策は何か。この議論と説得力が重要となる。

(B)反対する側は「安全という見方もある、それでも配備を拒否する」と主張しなければならない。

下地幹夫氏も、仲井真沖縄県政も、現在行っていることは、(A)の議論の進め方だ、という点で同じに見える。ただ説得力についての考え方がずれているだけ。下地氏は「オレだろ!な?オレが沖縄のために金持って来てやってんだろ」的男気の利益誘導政治オールドスクール代表。日本政府の言質取って責任取らせて自分の責任は回避して逃げる文書主義官僚オールドスクール代表が仲井真県政という風に見えてこないだろうか。

 いっぽう県民大会サイドが避けている、あるいは失敗しているように見えるのは(B)の議論の進め方だ、という点が、こう考えると透けて見えて来るのではないか。

(A)なら、高江で現在進行中の工事を止める理由がない、進める方針に立っても罪悪感を感じなくてすむ。これが沖縄県政の高江に対する向き合い方だ。部下の口をついて図らずも暴露された「高江を止めてもオスプレイを止めることに直接つながらない」という立場だ。

そして、(B)の立場に立って反対を言わない人たちもまた、高江で進む工事を黙殺しているのも同然というわけだ。

高江が、問題なのだ。
高江こそが今回の反対運動の要諦だ。
高江の工事に反対を表明できるかどうかが、真に反対しているかどうかのリトマス試験紙になっていると、思うのだ。

辺野古浜通信も、合意してないプロジェクトも、高江の着陸帯工事反対の声を持って、県民大会に参加する。
さて、これを読んだあなたは、どう考えるだろう。
9月9日、高江への向き合い方が、ひとりひとりに問われている。

20120826

嵐の夜に・・・読むべき記事

「台風を待ちながら」と孫崎享氏の動画を紹介していた浜通信の真似してに倣って、台風の最中に見るべき新聞記事。

 琉球新報も沖縄タイムスも2-3面をがっちり割いて、米軍基地の問題をレビューした。台風でみんなお家に閉じ込められる週末。県民大会を2週間後に控えた週末。家族で、独りで、じっくりと時間を割いて紙面を読むことができるように。ネットもいいけど、紙面の構成の気迫というのは、やっぱり紙面から受け取るべきものがある。読むのに電気もいらないしね!

新報はこの間ずっと継続して報道してきた「危険性」の「基準」についての、他地域との比較という重要な点。ハワイイの環境レビューが発表されたことを踏まえて、時宜を得た内容。

タイムスのほうは、「推進派」にフォーカス。扱いの難しさを受け容れてタブー化せずに紙面化したと思う。月末の日曜日なのでタイムスのほうはワラビーの「まんが基地問題」も注目!NIKOがまたパワーアップしとる。。。





20120825

マッチポンプ企業

-「米基地跡地浄化へ/大米建設『環境部』来月設置」『琉球新報』2012年8月25日。
-「大米建設が土壌浄化事業/基地返還見据え技術導入」『沖縄タイムス』2012年8月25日。

JFEて、聞き覚えがあるなと思ったら、NHK経営委員長で東電の社外取締役に就任することが問題になっていたのが、JFEホールディングス元社長、という話だった。
がれき広域処理や、そもそも原発の関連企業じゃないのかー。JFEって。
 この記事、返還後の環境浄化で地元企業に利益還元、とか美しい話のようにまとめられているけど、問題アリアリ。
 がれき広域処理を沖縄で強弁していたのは国会議員の下地幹夫氏だ。
 下地幹夫議員→大米建設→がれき処理→土壌浄化事業→JFEホールディングス つながり。ほかにも、下地幹夫議員→オスプレイ→ヘリパッド工事→大米建設 つながりもある。ヘリパッド工事で森を壊しながら、返還後の環境浄化もへったくれもあったもんじゃねー。マッチポンプじゃないか。新聞しっかり報道してくれよ、こら(怒)。
 返還と土壌浄化というキーワード、北部訓練場含め、枯れ葉剤問題にも絡んでくるんじゃないかと、いやーなカンジがしますよ、このニュースは。

大米建設(那覇市、下地米蔵社長)は24日、記者会見を本社で開き、9月中に社内に環境部を設立すると発表した。今後、土壌・地下水の浄化技術を持つJFEミネラル(東京、田中久社長)と業務提携し、米軍基地返還跡地などで環境汚染の浄化対策に取り組む。始原かリサイクル事業を展開するJFE環境(神奈川、塚本英夫社長)と琉球物流(那覇市、大城毅社長)も技術協力する。
 浄化技術は、微生物を利用して、土壌・地下水を浄化する「バイオレメディエーション」という方法を採用。汚染土壌の採掘・除去よりも環境への負担が少なく、低コストで浄化処理ができる。
 JFEミネラルはこれまで米軍基地跡地の処理実績はないが、同様の方法で約30県、最大2万立方メートルの土壌を浄化処理してきた。
 鉛や水銀、カドミウムなどの廃棄物処理は、JFE環境が実施する。処理工場は広島県と神奈川県にあるため、運搬は琉球物流が請け負う。
 大米建設の仲本靖彦副社長は「基地が返還されても、県外企業主導の浄化工事になれば、地元経済活性化への寄与が難しくなる。今から浄化技術の導入に備えておく」と力を込めた。(「米基地跡地浄化へ/大米建設『環境部』来月設置」『琉球新報』2012年8月25日。)


20120824

気球に乗りたくなったから。

久しぶりに本日の1曲、いや2曲とおまけ。写真を見てたら気球に乗りたくなったから


知らなかったよ 空がこんなに青いとは
手をつないで歩いていって みんなで仰いだ空 ほんとに青い空
空は教えてくれた 大きい心を持つように 友だちの手をはなさぬように

台風が明けたら、高江に行こう。

20120821

たかえたいへん、たかえのために。抗議と要請リスト編2012年8月版

実は週末の高江で、素晴らしくステキで大きなマンゴーを激励にいただきました。住民の会に内緒で、気持ちも、フルーツも有り難く独り占めして頂戴してしまったことを告白します。あんまり美味しくて号泣。

座り込みは出来なくても、いつも気にかけてくれる人が、たくさんいることを知っています。その思いを受け取ってしまったから、あきらめることなど出来ません。

たかえたいへん、たかえのために。
今回は<抗議と要請リスト2012年8月版>です。
【9.9県民大会に「高江も一緒に反対!」の呼びかけを】
no osprey沖縄県民大会事務局
TEL 098-869-1526  FAX 098-869-1529
e-mail no.osprey8.5@gmail.com
blogメッセージフォーム / FB / twitter

「みんなこんなに反対しているのに、どうして、高江は仲間はずれなんでしょうか。」
「再び起こった暴力事件に抗議したその翌日に、高江では工事を強行、恥ずべきことも繰り返されています。田中元防衛局長の「犯す」発言の翌日にも高江に工事強行に来たこともまだ記憶に新しい。これ以上の黙殺は許されません。」
「工事を進めてよい理由はまったく説明されていません。県は疑念を持ったまま工事を黙認している、黙って見過ごすことは出来ません。」
外務省は、国連に対して厚顔にも差別ではないと傲慢な回答を出し、高江区の反対決議や沢山の反対署名、新聞社説も採り上げる反対の声の存在を、まるで無かったことにしようとしています。県民の名の下に開催される大会も、高江を黙殺するのですか。」
「ベトナム村、枯葉剤、20世紀の矛盾がいまだに解決されず積み残されたままの高江で、21世紀にさらなる矛盾を押しつけるのでしょうか。」・・・

高江の悔しい気持ちは、言い尽くすことができません。どうか、大会事務局にこの気持ちが届くよう、キモチをコトバに、コトバをカタチに!お願いします。
※大会当日に「高江も!」のプラカードが沢山かかげられるとよいのじゃないか、と、唐突に思いつきました。サインボードのデザイン大募集です!

【いつも何度でも、抗議先】
TELFAXネット連絡先
沖縄防衛局 098-921-8131098-921-8168
防衛省03-5366-311103-5261-8018コメントフォーム
内閣官房03-5253-2111
コメントフォーム
外務省03-3580-3311
コメントフォーム
米国大使館


沖縄米国総領事館

 FB / twitter 


【抗議と要請がアマルガムに融合してしまう先】
氏名 TEL FAX 
沖縄県知事公室098-866-2460098-869-8979
東村役場0980-43-22010980-43-2457


【要請リスト県議会編】
[会派別の連絡先]
会派  TELFAX 
自民党 098-866-2754 098-866-2773 
社民・護憲ネット098-866-2702098-866-2706
県民ネット098-866-2697098-866-2588
共産党098-866-2756098-866-2577
公明党・県民会議無所属098-866-2487098-866-2583
沖縄社会大衆党098-866-2755098-866-6495
改革の会098-866-2584098-866-2575

[米軍基地関係特別委員会いわゆる軍特委の議員]
氏名 議員居室TEL 議員名簿TEL ネット連絡 
 県民ネット
 新垣清涼(あらかきせいりょう)098-866-2610098-893-0337  FBtwitter
 玉城義和(たまきよしかず)098-866-26300980-53-6587
 社民・護憲
 新里米吉(しんざとよねきち)098-866-2597098-944-0752
 仲宗根悟(なかそねさとる)098-866-2592098-958-5142
 社大党
 比嘉京子(ひがきょうこ)098-866-2593098-886-3661 Web / FB / twitter
 共産党
 前田政明(まえだまさあき)098-866-2688098-869-8151 WebForm
 自民党
 具志孝助(ぐしこうすけ)098-866-2608098-857-2015 Web
 末松文信(すえまつぶんしん)098-866-26290980-52-0809
 中川京貴(なかがわきょうき)098-866-2690098-957-2510
 又吉清義(またよしせいぎ)098-866-2621098-898-3882
 公明県民無所属
 吉田勝廣(よしだかつひろ)098-866-2017098-968-4767
 改革の会
 呉屋宏(ごやひろし)098-866-2886098-893-7960

【要請リスト国会編】
[沖縄選出の国会議員]
氏名連絡先 
赤嶺政賢http://jcpakamine.webcrow.jp/
沖縄県委員会〒900-0012那覇市泊2-4-7
(電話)098-862-6232
(FAX)098-862-6487
http://ojcp.jp/
jcp@akamine-seiken.naha.okinawa.jp
国会事務所〒100-8981東京都千代田区永田町2-2-1衆議院第1議員会館626号室
TEL: 03-3508-7196
FAX: 03-3508-3626
沖縄事務所〒900-0016沖縄県那覇市前島3-1-17赤嶺政賢事務所
TEL: 098-862-7521
FAX: 098-862-7735
糸数慶子http://www.itokazukeiko.com/
沖縄事務所〒900-0021 沖縄県那覇市泉崎2-1-5 セントロンビル202
TEL:(098)835-4670
FAX:(098)835-4672 
E-mail: itokazu@i-keiko2007.sakura.ne.jp
東京事務所〒100-8962 東京都千代田区永田町2−1−1参議院議員会館712号
TEL:(03)6550-0712
FAX:(03)6551-0712
照屋寛徳http://terukan.blog44.fc2.com/ 
国会事務所〒100-8982 東京都千代田区永田町2-1-2 衆議院第二議員会館319号室,
TEL: 03-3508-7069
FAX: 03-3508-3849
沖縄事務所〒901-2212 沖縄県宜野湾市長田4-16-11 1F 照屋寛徳後援会事務所
TEL: 098-896-1810
FAX: 098-896-1819
山内徳信http://yamauchitokushin.com/
国会事務所〒100-8962東京都千代田区永田町2-1-1参議院議員会館514号室
TEL 03-6550-0514
FAX 03-6551-0514
メール : tokushin_yamauchi@sangiin.go.jp
沖縄事務所〒904-0324沖縄県中頭郡読谷村字長浜1818-4
電話(FAX兼用) : 098-958-6081
瑞慶覧長敏http://www.chobin.jp/
国会事務所〒100-8982 東京都千代田区永田町 2丁目1-2
衆議院第二議員会館 1013号室
電話: 03-3508-7245
FAX: 03-3508-3515
チョービン後援会事務所〒901-1111沖縄県島尻郡南風原町字兼城715番地103
TEL 098-888-6041
FAX 098-888-6046
玉城デニーhttp://d21tamaki.com/
国会事務所〒100-8981 東京都千代田区永田町 2丁目2-1
衆議院第一議員会館1217号室
電話: 03-3508-7284
FAX: 03-3508-3734 
玉城デニー事務所904-2155沖縄県沖縄市美原4-22-12ピュアパルクB-203 
Tel:098-929-2416
Fax:098-929-2005
島尻安伊子http://shimajiriaiko.ti-da.net/
国会事務所〒100-8962 東京都千代田区永田町2-1-1参議院会館405号室
TEL:(03)6550-0405
FAX:(03)6551-0405
沖縄事務所〒901-2125 沖縄県浦添市仲西1-1-1JSLビル 1階
TEL:(098)875-1458
FAX:(098)877-0783
 下地幹郎




高江に工事来た!

早朝から沖縄防衛局が高江に来たとの速報が入りました。
沖縄に対して向き合うのに恥じ入ることもないのでしょうか。
県はいつまでこの状況を黙殺するのでしょうか。
どうか、大至急、現場へ向かって下さい。

現場に行けない人は抗議と抗議要請を!リストはここからどうぞ。
http://www.projectdisagree.org/2012/07/blog-post_10.html

【追記】また、また、またしても、早朝の時間帯に資材を運び入れた模様。もはや防衛局の「定番」の手法というのか。公的な工事という自覚もないのか、税の一体改革か何かで、人の目を盗んで工事をしてよいことになったのか。朝から怒りやまず。。。

8月22日ヘザーさんと沖縄が出会う会


OOって略すと、なんのことだか判らなくなってしまうな、Okinawa Outreach企画のお知らせ頂きました。関連してイベント紹介の記事ふたつもアップされているこちらも参照されたし。



日時:2012年8月22日(水)午後 1:00 ~ 16:15(12:45開場)
場所:沖縄大学 本館 同窓会館

入場無料
プログラム:
第1部 ドキュメンタリー映画『沈黙の春を生きて』(2011年)上映
第2部 ヘザー・バウザーさんのトーク
     Q&A・市民との対話
   
主催:ピース・ボート/沖縄大学
共催:Okinawa Outreach 
連絡先:ジョン・ミッチェル:ジャーナリスト、ピースボート本プログラ
ムリーダー jon.w.mitchell[アットマーク]gmail.com
河村 雅美(Okinawa Outreach)日本語の問い合わせはこちら
mamikw[アットマーク]nifty.com、 070-5482-0084

ジョン・ミッチェル旅のエッセイ:高江訪問

枯れ葉剤報道でお馴染みのジョン・ミッチェルさんが、高江を訪問したときのことがジャパンタイムズの記事になりました。原文と添えられた写真はこちらから

ジョン・ミッチェル「ジャングルの闘い」『ジャパン・タイムズ』2012年8月19日

日本最貧県の沖縄のなかでも経済的に貧しいのは、一帯が深いやんばるのジャングルに覆われている北部東海岸である。ここ東村と国頭村は、電気や水道敷設がもっとも遅れて届いた場所だ。1978年になるまで舗装道もなかった。

しかし、生物多様性の観点からすると、ここは地球上で最も豊かな場所のひとつであり、10種以上にのぼる固有種のひとつ、絶滅が危惧されているノグチゲラというキツツキは、県のシンボルにもなっている。

[写真キャプション]様々な表情を持つ緑の濃淡:やんばるは地球上で最も生態系の豊かな場所のひとつであり、同時に、沖縄最大の米軍施設、ジャングル戦闘訓練センターを擁する地でもある。

最近この場所を訪れた私は、あふれるほどの自然に抱かれて心安らかな気持ちになれたと思ったのだが、しかしそれは早計であった。土地の名産であるパイナップルのならんだ道路脇の店に車を停めると、ニワトリが雑草をついばみ、野生のイノシシが2匹のうり坊と一緒にハイビスカスの茂みに鼻先をくぐらせている。イノシシが最初に異変に気付く。母イノシシが鳴き声を上げ、子供たちの尻を下生えのほうに押しやったそのとき、3機の巨大なヘリコプターが轟音をたてて頭上に現れ、続いて迷彩色のトラックの一団がすぐそばの道路を猛スピードで通過した。突如としてそこは戦場の最前線の様相となった。

やんばるのこの一帯は、経済的な困窮と生態系の豊かさにおいてだけではなく、もうひとつの点で突出している。沖縄最大の米軍施設、海兵隊ジャングル戦闘訓練センター(JWTC)、またの名をキャンプ・ゴンサルベスと呼ばれる施設を受け容れているのである。

72平方キロメートル、問題になっている南の普天間飛行場の15倍の面積のJWTCは、1957年に敷設され、ヴェトナム戦争中、GIのサヴァイヴァル訓練や猛毒の除草剤エージェント・オレンジの実験にも使用された。60年代、地元住民が雇われて対ゲリラ戦訓練のヴェトコン役をやらされたこともある。現在、この巨大な提供区域に雇われているのは、20数名のアメリカ人とひとにぎりの日本人雇用員のみである。

隣接する集落に暮らす人びとは訓練場の閉鎖を求めて長きにわたる活動を展開し、これは冷戦期の時代遅れの産物だと指摘している。1996年、米兵による沖縄の小学生の残忍なレイプ事件への激しい公憤を沈静化させる目的で、東京とワシントンはJWTCの半分を民間に返還することに合意した。だが、それには条件があった。米軍はまず新たに6つの、直径75メートル規模のヘリパッドを東村高江地区周辺に建設するよう求めたのである。この5年間、地元住民はヘリパッド建設を止めるため座り込みに及んだ。

抗議運動のテントは、県道70号線沿いにあり、やんばるでもっとも多くの訪問者を惹きつける訪問先となっている。それもそのはず、そこは色とりどりの旗や横断幕で飾り付けられ、沖縄の地元テレビのスーパーヒーロー琉神マブヤーに似せた遊び心のある看板や、子供たちも喜ぶような記念写真撮影用の顔出し看板もある。

この日も、テントには老いも若きも訪問者が沢山来ていた。なかには日焼けした東京の女の子たちが、Jポップのスターでこの運動を支援するUAが近くに越してきたというので、ひと目でも会いたいとレンタカーで南のリゾートホテルから駆けつけていた。UAには会えなくても、若いその女性たちは腰掛けて、地元の人から、継続中のこの闘争についての説明に耳を傾けていた。高江は、人の気持ちを変えることに成功しているようだ。

住民によれば、計画されているヘリパッドは高江にひとつしかない学校にも近く、子供たちの安全が脅かされるという。その不安の高まりの背後にあるのが、しばしば墜落するオスプレイという航空機をこの着陸帯でも使用するという米国の計画である。1970年代以降ある記録から判ることは、JWTCでは現在使用されている機種での事故が断続的に起こっており、米兵の死者は20名にのぼっているという事実だ。

ヘリパッド建設を請け負う日本政府出先機関の沖縄防衛局と対峙する住民たちの運動の核心は、この島全土の抗議行動に浸透している非暴力の行動である。この5年間、ブルドーザーに頭を下げ、時にしし汁の鍋やバレンタインのチョコレートをふるまう、そこに備わる正義とユーモアの精神に、仏頂面した官僚は面食らうのである。

[写真キャプション]冷戦の遺物と言われる駐留は、抗議行動の対象となってきた。仏教僧の佐々木弘文はこの闘争を「人権」の問題だと特徴づけた。

だが、こんな作戦が功を奏したのもしばらくの間までで、事態は変化したように見える。7月、仲井真弘多沖縄県知事のオスプレイ反対の声明にもかかわらず、トラック2台で作業員が再び高江に押しかけ、ヘリパッド建設工事を再開しようとした。

この日は闘争のつかの間の休息を迎えており、おかげで座り込み参加者のひとりに話を聞くことができた。仏教僧の佐々木弘文は「これは人権の問題です。日米政府はこの高江でこんなふうに人権を踏みにじっている」と語った。

阿部小涼は、琉球大学の准教授で、自らも「座り込み人」"sit-inner"と称する2007年来の参加者である。「高江は将来の日米関係を判定するリトマス試験紙となる。とりわけ福島のメルトダウン以後、日本本土の多くの人がますます高江の運動に共感するようになってきている。沖縄でも福島でも、東京の政府はこれまで、人々の意志を抑圧しカネで買収しようとしてきた」。

[写真キャプション]大学で講義し、抗議活動も行う阿部小涼。高江の座り込みに2007年から参加している。

やんばるに暮らす住民の熱意がもっとよく判るからと、阿部は私をカフェ山瓶に案内してくれた。深いジャングルの中にあり、座り込み運動に深く関わっている夫妻が経営する店である。まるでエンドアの村[訳注:映画スターウォーズに登場するイウォークたちが住む森林]みたいな木造のデッキと渡り廊下がある。この建物も、食事もすべて手作り。ベジタブル・カリーやシナモン・トースト、そしてぶどうパンがとても美味しかったので、お土産に一袋買って帰ることにした。

カフェの周囲は、薄明にシダ植物が生い茂り、輝くような赤いトンボたちがせせらぎの上で空中戦を繰り広げていた。住民たちが逮捕も辞さない覚悟でその天国のようなジャングルを守ろうとする理由がすぐに理解できるだろう。

阿部によれば、やんばるの反軍事主義は今日に始まったことではないし、単純な反米軍主義でもないという。「第二次大戦前、自ら怪我を負ってでも日本軍への徴兵を逃れようとしたという話もある。戦中には逃走する兵士を匿って助けたこともある」。

ランチのあと阿部は、やんばるの平和主義が際立つ次の場所へと、ドライブに連れて行ってくれた。途上、様々な表情を見せる緑の濃淡が水平に伸びる稜線を区切るように点在する軍の監視塔が、JWTCの圧倒的規模をはっきりと示していた。橋のたもとで車を停めると、20メートル崖下に、3名のGIが流れの向こうにあるゴムボートめがけて競っていた。1週間の間、タバコのライターひとつとナイフ1本だけを持って森に残されるかれらのような訓練兵は虫やヘビ、木の根など食糧を調達しなければならない。ディンギーを奪い合う様子を見て、カフェ山瓶で入手したパンを投げて分けてやりたい衝動に駆られたが、そうする前に、下流へと向かったかれらの姿は見えなくなり、後には罵り合う声だけがこだましていた。

[写真キャプション]石に刻まれて:1971年の米軍実弾演習阻止の勝利を記念する安田集落の碑。

さらに15分ほど車を走らせ、目的地、安田の集落に到着した。そこにある2メートルほどのみかげ石の一枚岩が、1971年、この地区に射爆訓練をつくろうとした海兵隊の目論見の阻止に成功した住民たちの記憶を不朽のものにしていた。碑には、軍の実弾演習の実施計画を知った数百名の男女、子どもたちがJWTC内になだれ込み、砲台の設置地点と着弾地点の両方を占拠したと書かれていた。長時間の闘争局面の後、海兵隊はついに計画中止に追い込まれた。抗議行動には違法性もあっただろうにもかかわらず、村によって2009年に建立されたこの石碑が、やんばるの抵抗精神の最新の証拠として屹立している。

私は、もし政府がヘリパッド計画を断念したら同じような記念碑を立てたいかと阿部に尋ねた。驚いたことに、彼女は首を振るのだった。しかし続けて笑いながらこう言った。

「いつか、単にヘリパッド問題での勝利を記念するのではなく、JWTCが完全に閉鎖されて民有地に返還されたら、その時にはね。高江の座り込みは、将来の世代に21世紀のアクティヴィズムの強さを伝えるため、記憶されるべき価値があるから」。


行き方:高江は沖縄都心部の那覇から車で3時間。行き方と座り込みの最新情報(日本語)はここtakae.ti-da.netから。
カフェ山瓶は午前11時-午後6時まで営業。火・水休業www.mco.ne.jp/yamagame。安田の闘争記念碑へは高江から車で30分ほど北上。
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20120820

OWAAMV抗議声明

抗議集会で会って、もらってきました。
「沖縄基地・軍隊を許さない行動する女達の会の抗議声明文」。
「軍隊は構造的暴力組織であり、地域においても、また国家間においても真の安全は保障しない」との立場から要求されたのは以下の4項目。

一、被害女性のプライバシーが守られ、心身のケアがはかられること
一、被害女性への謝罪と加害米兵の厳正なる処罰を行うこと
一、女性、子どもの安全な生活環境を保障するため、全米兵の基地外行動を禁止すること
一、沖縄からすべての基地・軍隊の撤去を求める


本日夕刻、抗議集会にご参集下さい!

抗議は、米軍と米軍の暴力を押しつけ続ける日本政府に。
抗議する私たちの気持ちは、被害に遭って苦しむ過去と今日の人びとに。
もうこれ以上の軍事主義を許さない強い意志は、未来のこの島の人びとに。
怒りをカタチにして届けるため、みんなで集まりましょう!

米海兵隊員による性暴力事件に対する怒りの8.20緊急集会
2012年8月20日18時より宜野湾市石平の在沖米軍4軍司令部前にて。

20120808

枯れ葉剤の文書発見、との報道が県内紙でも

グアムと沖縄>ジョン・ミッチェルJapan Times枯れ葉剤報道第11弾


 同じくジャパンタイムズ紙8月7日に掲載されたもうひとつの記事。グアムと沖縄を枯れ葉剤問題という断面で比較すれば、通底する困難、共有すべき課題が明らかとなる。
 このような視角に立てば、海兵隊の移設先としてではなく、冷戦の過去の矛盾を等しく押しつけられてきた地域、今日の米国の「アジア太平洋」地域戦略という枠組みによって、都合よく捨て駒にされる地域として、すなわち、そこから共に抗するための協働性を見出すべきカウンターパートとして、見ることが可能になるのではないか。
 「ゴーディアスの結び目」とは解けない結び目のこと。アレクサンダー大王は結び目をほどく手間をかけずにバッサリと切ってアジアの覇者となったとの故事に由来する。帝国によって切断されるのではない運命を、アジアは想像してゆけるだろうか。



ジョン・ミッチェル「太平洋の毒物:グアム、沖縄、枯れ葉剤」『ジャパン・タイムズ』2012年8月7日。

原文:
Jon Mitchell, "Poisons in the Pacific: Guam, Okinawa and Agent Orange," Japan Times, Aug. 7, 2012.

1968年、当時19才の軍曹リロイ・フォスターがグアムのアンダーセン空軍基地、太平洋最大のこの米軍駐留地に到着した翌日、彼は上官から「植生管理任務」を命ぜられた。

「ディーゼル燃料とエージェント・オレンジを混合して、ジャングルの茂みを除草するため基地中をトラックで散布してまわった。先輩兵はだれもやりたがらない仕事だったから、トーテムポールでいえば最下層にいる自分にお鉢が回ってきたってわけだ」とフォスターはジャパンタイムズ紙に語った。

[写真キャプション]虹の戦士:ラルフ・スタントン。現在は軍の枯れ葉剤使用について調査の先頭に立っている彼は、1969年か70年のある時期、グアムで勤務し、「虹色の除草剤」のひとつ、エージェント・オレンジに被曝したと考えている。写真提供ラルフ・スタントン。

軍務が始まったばかりの頃、フォスターは吹き出物や腫れ物が体中に出来、布団に擦れて出血するのが大変つらかった。その後は何年にも渡ってパーキンソン病、虚血性心疾患など病気の連続だった。これらの病状は散布を命じられた毒性の高い除草剤が原因だと考えている。フォスターはまた、エージェント・オレンジのダイオキシンはその被害が次世代の健康にも及ぶほど長期にわたるもので、彼の娘が10代にして抗がん治療を受けなければならず、孫の手と足は12指あり心雑音を持って生まれたことも、このダイオキシンの影響だと考えている。

だがフォスターは幸運なほうだと言える。グアムでエージェント・オレンジによる病気を訴える数百の元米兵がいるなか、フォスターはこの島での被曝を原因として政府から補償を受けているわずか5名のうちのひとりだからだ。残りの者たちは、記録には「グアムのどの場所においてもエージェント・オレンジのような戦略除草剤の使用・試験・保管を示すものはない」とペンタゴンが主張しているため、救済を拒否されているのである。

この否定の仕方は、ジャパンタイムズの読者には見慣れたものだろう。本紙は、もう一つの米軍の軍事拠点である沖縄においてもこの毒性化学品が使用されたとの疑いについて米政府の調査を行ってきた。過去18ヶ月間、何十人もの元兵士がヴェトナム戦中の沖縄における除草剤について発言してきた。これらの退役兵たちと、ときにはその子供たちも、ダイオキシン被曝を原因とする病気にかかっている。しかし、米政府はかれらのうち3名の被害しか認定せず、沖縄でのエージェント・オレンジ保管・埋却・使用を一貫して否認している。

米軍による毒物汚染がグアムと沖縄で併行して起こっていることは憂慮すべき事態である。第一にこれらの島にエージェント・オレンジが持ち込まれた原因は、その共通の歴史にある。2200キロメートルの距離を置いて西太平洋に浮かぶグアムと沖縄はどちらも、第二次世界大戦の悪夢のような戦闘の目撃者であった。グアムは、かつて米の輸出基地であり、1941年12月に日本に占領されて2年半の残虐な占領を受け、1944年7月、米軍によって解放された。日本の県である沖縄は1945年春、米兵に1万2000名の死者と4万人の負傷者を出す戦闘の末、米軍によって占領された。

沢山の米兵の血で贖われたふたつの島は、多くの米国指導者たちにとって、過酷な戦闘の戦利品として獲得した領土であるとの意識が染みついている。第二次大戦終結の後、二つの島は徐々に地球上で最も軍事化された場所へと変貌し、グアムは銛の切っ先("Tip of the Spear")、沖縄は太平洋の要石となった。

軍事評論家たちには好まれるとはいえ、このニックネームは、島に暮らす人びとに押しつけられた周縁的な地位を覆い隠すものだった。1950年にグアムは非併合領を宣言、島内の民政を認定するものの住民は大統領選挙への参政権を持たない、この制度は今日まで続いている。1945年から1972年まで沖縄はアメリカ支配のグレーゾーンのなかで、米国、日本いずれの憲法の保護も受けない状態に置かれた。この制度によって、軍はその行動の責任を問われずにすむことになったが、それは他地域では困難であっただろうことであり、有毒除草剤の使用もその範疇に含まれる。

ペンタゴン自体の記録によれば、1952年グアムに初めて保管された枯れ葉剤は、5000本のエージェント・パープルのドラム缶であった。いわゆる「虹色の除草剤」のひとつで、容器の周囲に描かれた識別色によって命名されたエージェント・パープルは、エージェント・オレンジに先行するもので、さらに毒性の高いものとして今日では知られている。米軍は朝鮮戦争で使用するためグアムに除草剤を持ち込んだ。だが配備前に紛争が停止し、米政府によれば、その後グアムから撤去されたという。

軍の除草剤使用の研究を主導するラルフ・スタントンは、1969年から1970年にこの島に駐留した期間に自身も被曝しており、この出来事についての政府版の発表に懐疑的である。「国防省は米国に戻ったドラム缶の記録を持っていない。だから、彼らの発表は神話か虚偽だと思う。1950年代、船舶輸送コストは除草剤よりも高く付くものだっただろう」。

最初の在庫の行方とは関係なく、スタントンの調査で明らかになったのは、1960年代から70年代、米国がヴェトナム戦争に関与するにつれて、軍用除草剤は定期的にグアムで散布され、島を経由して東南アジアに向かい、敵地の食糧収穫や身を隠すジャングルを枯渇させる目的で大量に使用されたということである。ヴェトナムだけでも、赤十字の推定で300万の人々が今なお、この薬剤の影響による病状に苦しんでいる。

1970年代初頭に第43輸送部隊でグアム任務に就いたエドワード・ジャクソンによれば、これらの除草剤はよく目にするものだったという。「アンダーセン空軍基地にはエージェント・オレンジやその他の除草剤の大量の在庫があった。何千ものドラム缶があった。海上輸送のため海軍基地によく運んだよ」と、ジャクソンはジャパンタイムズ紙に語った。

これらの薬剤の毒性について知り得ている現在では、兵士たちは防護服を着て作業に当たっただろうと想像しがちである。だが軍と製造会社は何年もその危険性についての調査を抑え込んだ。「エージェント・オレンジは歯磨きに使っても大丈夫なくらい安全だと言われた」、スタントンは語る。

これら除草剤の取扱いだけでなく、処分もいい加減に行われた。ハンビー飛行場(現在の北谷町)、嘉手納空軍基地と海兵隊普天間飛行場に埋却したと元兵士が主張している沖縄と同様に、グアムの元兵士も同様の慣例に従ったと語っている。

ジャクソンによれば、除草剤のドラム缶は輸送中に破損することもあったので、アンダーセン空軍基地に放棄した。「トラックを、太平洋に落ち込んでいく小さな崖までバックさせた。私は自分で25本は捨てた。ドラム缶は殆ど空のものから、満タンのものまでいろいろあった」とジャクソンは説明する。

[写真キャプション]猛毒の遺産:米空軍退役兵のリロイ・フォスターが2010年、生まれて間もない彼の孫娘を抱いている。生まれたとき手と足に12本の指があり心雑音もあったが、この障がいは1960年代末に彼がグアムでエージェント・オレンジ被曝したことが原因だと考えている。写真提供リロイ・フォスター。

1990年代、米政府はこの手法を摘発しジャクソンがドラム缶を投棄した場所の環境調査を実施したところ、非常に深刻な汚染が発覚し環境保護局(EPA)による緊急浄化のリストに加えられた。この小さな島全域にわたって100カ所の同様の汚染地が確認され、一カ所の土壌からは1万9000ppm(認識されている安全値1000pptと比較されたい)のダイオキシン汚染も見つかり、この地球上でもっとも汚染された土地のひとつになった。住民をさらに驚かせたのは、これらの場所の多くが、島の飲料水の供給源である北部のグアム帯水層に近接していたことだった。

2007年、グアム大学元教授のルイス・サイフレスは、島民は「事実上、あまねく場所で虹色の除草剤の霧のなかで」生活していたと警告する。グアム住民における鼻咽頭(上咽喉)癌と糖尿病罹患率の急激な上昇が、彼の推測に根拠を与えているようである。

今日、米政府は島の汚染地域の大半を浄化し終えたと主張している。だがグアム大学準教授のリサ・ナティビダードはこの点について確証できないと見ている。「彼らの浄化されているという定義は不正確であることが多い。そのため独立研究者に依頼して国の主張を検証する必要がある」、彼女はジャパンタイムズ紙にそう語った。

だが、グアムの人々は沖縄住民と比べれば幾分ましなほうだ。米軍のダイオキシンで汚染されてきた島の土壌と水の状態について故意に無視を決め込まれているのが沖縄だ。
繰り返し、日米両政府は島におけるエージェント・オレンジ汚染の調査要請を拒絶している。よく知られるところでは2011年11月、ヴェトナム戦争中にエージェント・オレンジを大量に保管していたと指摘するジャパンタイムズの報道を受けて、名護市住民がキャンプ・シュワブ付近の環境調査を求めたことがある。

闇に葬られ、現在沖縄に暮らす人びとは、島の基地で暮らす米兵とその家族もそこには含まれるが、汚染の可能性について思案するしかない。普天間飛行場は、グアムにおけるアンダーセン空軍基地との共通点から特に関心を持つべきだ。双方の駐留地は60年以上にわたって軍に使用され、軍用機が問題なく操縦できるようにと、エージェント・オレンジに限らず、危険な薬物が日常的に垂れ流されてきた。アンダーセンのEPA報告書は、鉛、PCB、ヒ素を含む32種の「懸念すべき汚染源」を明らかにしている。普天間は、アンダーセン同様、網状に広がる洞穴と地下水源の上にある。さらに憂慮すべきは、アンダーセンは人口密度の低い地域にあるが、普天間は9万4000人の人口を擁する宜野湾市の混み合う中心部に位置している。

普天間閉鎖をめぐる論争は16年にわたって続き、米日関係を緊張させ、沖縄の人びとは試練に耐えている。だがアンダーセンとの比較が正しければ、閉鎖後も普天間の浄化には数十億ドルが必要となるだろう。日米地位協定は環境浄化に関する資金負担を全額日本の納税者に負わせている。これほどの金額がかかるならば、東京が、普天間閉鎖について長期に及んで解決の糸口も見えないままに放置してきたことは、さして不思議ではない。

グアムと沖縄の運命は、数千人の米海兵隊員の移駐という、太平洋を舞台とする「ゴーディアスの結び目」に絡み取られてきた。ナティビダード准教授は、この計画でグアムの指導者たちはペンタゴンに島の汚染地域の完全閉鎖を要求しにくくなったと考えている。「前知事は再編計画を危うくしてはまずいと、ワシントンで波風を立てることを恐れていた。現在の知事はもう少し自信を持っているが、彼が許可を求めてワシントンに圧力をかけても、汚染地域は浄化されていますとの回答が文書で届いただけだった」。

アメリカがグアムと沖縄にエージェント・オレンジを持ち込んだ理由は、過去の冷戦に根ざしていることが今日では明らかである。だが、ふたつの島におけるこれら有毒物質の存在を認めようとしないワシントンの拒絶は、ますます信じ難いが、それは、21世紀におけるこの地域の軍事戦略という網の目にきつく編み込まれて起こっているのである。

「私たち退役兵は米日間の政治的駆け引きの捨て駒になってきた」と元空軍曹のジャクソンは言う。「私たちは死を待つ軍隊なのです」。

エージェント・オレンジについて更に詳しい情報は、ラルフ・スタントンの総合的なウェブサイト[http://www.guamagentorange.info/]を参照されたい。今年5月に琉球朝日放送はジャパンタイムズが報道してきた沖縄におけるエージェント・オレンジ問題に焦点を当てたドキュメンタリー「枯れ葉剤を浴びた島」を放送した。日本民間放送連盟のドキュメンタリー賞にノミネートされ、最終選考結果は9月に発表される予定である。感想とご意見はcommunity@japantimes.co.jpまでどうぞ。

20120807

2万5千缶の枯れ葉剤、米軍文書で>ジョン・ミッチェルJapan Times 枯れ葉剤報道第10弾!

米軍の2003年報告書が、沖縄での枯れ葉剤保有について言及していたことが明らかになったとのジョン・ミッチェルの枯れ葉剤報道。ヴェトナム、沖縄、ジョンストン島のミッシングリンクをつなぐ文書が見つかった。

自らの健康被害と名誉を賭けて、沖縄の現状への関心をも重ねながら、この報告書の発見につなげたヴェテランたちの執念を、日米政府はどう受けとめるのか。

威勢の良い進軍ラッパの背後に隠蔽されようとしている「アジア太平洋」の傷の歴史を注視しなければならない。



ジョン・ミッチェル「2万5000本のエージェント・オレンジのドラム缶を沖縄で保管、軍の資料が言及」『ジャパン・タイムズ』2012年8月7日火曜日。

原文:
Jon Mitchell, "25,000 Barrels of Agent Orange Kept on Okinawa, U.S. Army Document Says," Japan Times, Tuesday, Aug. 7, 2012.

ヴェトナム戦中、沖縄に2万5000本のエージェント・オレンジのドラム缶が保管されていたということが、最近公開された米軍の文書で明らかになった。520万リットルに上ると思われる毒性の枯れ葉剤を入れたドラム缶が沖縄に持ち込まれたのは、保有していたエージェント・オレンジを太平洋上のジョンストン島に移送して焼却処分したと知られている1977年よりも以前であることは明白である。

軍の報告書は、沖縄におけるこの薬剤の存在を軍が認識していたことを示す初めてのものであり、エージェント・オレンジはこの島になかったと繰り返し否定してきたペンタゴンの説明と矛盾することになる。沖縄でこの薬物のため病を発症し、米国国務省の公式の調査を求めている10人の元米兵たちの尽力がこの報告書の発見につながった。

2003年の軍の報告書は、「ジョンストン環礁の生態アセスメント」[*訳注1]と題されている。冷戦期を通じて生物化学兵器を保管し処分するため米国が利用してきた小島における軍の環境浄化の取り組みについて概説したこの報告書は、「1972年、米空軍は、ヴェトナムにあって沖縄に保管していた2万5000本の55ガロン(208リットル)のオレンジ除草剤(Herbicide Orange/ HO)を、ジョンストン島に移送した」と述べている。

1970年代初頭、米国政府は有毒ダイオキシンを含有する除草剤が人体の健康に深刻な脅威となることを認識した後、ヴェトナムにおけるエージェント・オレンジ使用を禁止した。さらに、報告書の指摘する時系列を踏まえれば、このドラム缶は赤帽作戦(Operation Red Hat)、日本への施政権返還を翌年に控えた1971年、沖縄から1万2000トンの化学兵器を移送する作戦の一部であったことを示している。2009年に米退役軍人省は、赤帽作戦に軍用除草剤が含まれていたと発表していたが、「情報自由法」に基づく複数の申請など、この件に関する調査要求の試みを、米当局は妨害してきた。

この1年半、何十人もの元兵士が、ジャパンタイムズ紙に対して、1960年代から70年代の沖縄で散布、保管、処分したと語ってきた。当時、この島はアメリカのベトナム戦争における要衝であり、ヴェトナムで、米軍は何百万リットルものエージェント・オレンジを散布し、何万人もの自国軍の兵士と、3百万人に上ると言われるベトナムの人々が毒害をうけた。沖縄に駐留した多くの元兵士がこの除草剤に被曝したために同様の病を発症していると主張しているが、判っている限りで、米国政府が賠償を支払ったのは、そうした元兵士のうちのわずか3名だけである。

この軍報告書の発見を受けて、10名の元兵士は米上院退役軍人問題委員会に対し、沖縄における軍のエージェント・オレンジ使用の全貌を調査するよう求める書簡を提出している。「沖縄で除草剤すなわちダイオキシン被曝をした全ての元米兵に対して、また同様に沖縄に対しても、正しいことを行うよう強く求めています」と、元空軍曹のジョー・シパラがまとめ役となったこの書簡は述べている。

シパラは、1970年この島でエージェント・オレンジに被曝したと考えており、ほかの9名の元兵士たちと、ワシントンへ行き、この問題について上院議員に証言を行うよう求められた。かれら元兵士たちは、昨年、米国政府と日本の外務省が、元兵士たちの行った沖縄における枯れ葉剤の証言は疑わしいと発表したことに憤りを感じていた。

「立派に従軍し、偉大なアメリカ合州国と沖縄を守るため何年もの青春時代を犠牲にした男女たちの信頼性と誠実さを侮辱するものだった」とシパラは書簡で書いた。

シパラは、この書簡によって、米国政府はきっと、沖縄でエージェント・オレンジ被曝したと考えられる元兵士に対して補償を行ってくれる、との希望をジャパンタイムズ紙に語った。現時点で、政府はベトナム、タイ、朝鮮半島の非武装地帯で軍用除草剤に被曝した元米兵への補償を行っている。しかしペンタゴンが沖縄におけるこれら除草剤の存在を否定しているため、何百名もの元兵士たちが、補償を受けられないでいるのである。

フロリダを拠点として活動する研究者で、2003年の軍報告書を発見した人物であるジョン・オーリンは、沖縄における軍のエージェント・オレンジ使用について調査を継続すると語った。「現在、私たちはふたつの政府、自国の市民を欺くために積極的に手を組んできた日本とアメリカを相手にしている。この件に関して明らかに情報秘匿のキャンペーンがある、だからこそ、しっかり調べてやろうと考えているのです」。



[*訳注1]原文中の文献タイトルに訂正がありましたので、こちらも修正しました。ちなみにオリジナルの文書タイトルは"An Ecological Assessment of Johnston Atoll." です。2012年8月8日。

20120801

8月1日本日発売『オスプレイ配備の危険性』

七つ森書館から『オスプレイ配備の危険性』が本日発売になります
ご存知、真喜志親方やリムピースなど、もう何年も前からこの新奇にしてブサイクな航空機について指摘し沖縄配備についていち早く警鐘を鳴らしてきた人々による解説の書。
まずは、この本を手にとってオスプレイがなぜダメなのかを知ること。
でもつぎに待っているのは、「じゃ、オスプレイが安全ならいいわけ?」とか「オスプレイが来なければいいわけ?」という的外れな疑問に答えなきゃなんない羽目。
「だー。そうではなくて、オスプレイがこんなして押しつけられる構造的な抑圧の問題が米日沖関係にある、と見るわけ。そうなら、それを変えていくには、世界のあらゆる場所における米軍基地の徹底的な拒否しかないさー!」と言える、伝えられる、明晰さが、欲しいね。決して「セジ降臨」とかではない説明で。ね。