
虚構新聞かと思った

合意してないプロジェクト
「新たな基地建設を強行するため、未明の県庁に書類を運び込んだ人々。生活をかけた異議申し立てを「妨害行為」として貶め、座り込む人々に拡声器から無感情なフレーズを浴びせ続ける人々。基本的人権にかかわる根本的な判断を回避したまま、国家権力の「権利」という倒錯した論理にお墨付きを与える裁判官。滑稽なほど凡庸な姿をした権力によって、占領下で暴力的に作り出されてきた抑圧と不条理が固定化され、繰り返され、懸命な異議申し立てが黙殺され続けている。そのような権力に対する「闘争」は、自身の足下に巣くう「悪の陳腐さ」から我が身を引きはがそうとする意志とともに、続いていくだろう。それはかつての「闘争」と様相を異にするであろうが、怪しげな法と「合意」に抗して真の政治空間を生み出していくために、人々の直接行動はこれからも不可欠な役割を担っていくに違いない。」
国側は、移転補償施策を利用せずに騒音地域に住み続ける住民は、騒音の影響を「自ら甘受すべきものである」と書面で主張した。この主張に対し、原告団(新川秀清団長)は同日、抗議声明を発表。国側の主張は県民に対する「差別思想を顕著に表す」内容として撤回を要求した。住民側弁護団も「国は金を払うから出て行けと居直っており、言語道断だ」と批判した。(31面に関連) 国側は、移転補償施策が「航空機騒音の影響を抜本的に解決する極めて重要な施策」であり、住民は同施策を利用することができると主張。施策を利用せず騒音到達地域に住み続ける住民は「騒音の影響があってもなお当該地域に居住する利便を選択している」とし、騒音を「自ら甘受すべきものである」としている。
いったん施設が出来てしまえば、やりたい放題のつづき、のようなびっくりするニュース。[中略] このニュースを見て、2月の京都のデモのときに記録された防衛事務所職員の方の発言を思い出しました。 「高江の方に、非常にご迷惑をおかけする、ということは間違いない事実で、これはねぇ、ひとつやっぱり、行政の手立てとしてね、あのまぁ、移転措置だとかね、音のうるさいところについては移転していただくとか、住宅保護をすすめるとか。というふうなメニューをうちのところは持っていますからね。そういったところでなんとかご勘弁頂いたら非常に助かるなぁと思うんです」
2014年までの米軍撤退はない。
私たちは平和を望む普通のアフガン人です。目も耳もあり、愛や絶望の感情も持ち合わせています。だから、どうか読んで下さい。『ワシントン・ポスト』紙は、最近の「米アフガン恒久戦略パートナーシップ条約」締結の報道のなかで、「米軍教練特別作戦部隊は2014年以降もアフガンの基地に残留することになった」と報じた。 http://www.washingtonpost.com/world/obama-makes-surprise-trip-to-afghanistan-to-sign-key-pact-mark-bin-laden-raid/2012/05/01/gIQAvYHduT_story.html?hpid=z1オバマとロムニーのどちらが勝利しようとも、2014年までの米軍の完全撤退はないことを、米国市民は知るべきである。『シカゴ・トリビューン』紙でスティーヴ・チャプマンが書くように「いずれの大統領も、戦時大統領であり」「民主党も共和党もない。あるのは戦争党だけだ」。 http://www.chicagotribune.com/news/columnists/ct-oped-0506-chapman-20120506,0,1856773.columnアフガニスタンでも同じことだ。[中略]「アフガニスタンへの常駐はない?」事実はこうだ。米軍基地は「アフガンの」基地となるが、2万人もの「訓練教官」と特別作戦隊が駐留するのである。この数字は実に日本の沖縄にあって議論を呼んでいる普天間基地よりも多く、日本との間で交わされた最近の(まだ熱冷めやらぬ)駐留撤退交渉で残留する数の2倍に上る。http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-17865198日本が維持する沖縄の米軍基地が社会的にも政治的にも受け容れがたい状況になっている、その様をカルザイは知るべきである。 カルザイ大統領は、当然のことだが、自分の遺産に関心があるのだ。ならば、いまは米軍のドルに満足しているアフガン人たちさえ、威厳ある日本人がそうしたように、後には「アフガン版オキナワ」の終焉を望むようになる、その可能性をよく考えるべきだろう。歴史教科書のなかで権威を失墜させないために、カルザイは、日本の鳩山由紀夫が首相の座に就任してわずか8ヶ月後には、沖縄問題で辞任に追い込まれたことを読んでおくべきだ。
「守る会世話人の崎原盛秀氏によれば、金武湾闘争を通じて『日本のなかのはきだめを作り出す場所としての沖縄が見えてきた。沖縄に対するヤマトが具体的に、ひとつひとつ、民衆のなかに映像みたいに映ってくるものがあった』という。米軍占領下、常に権利獲得が課題とされてきた沖縄で、憲法の庇護の下にあると考えられてきた日本。その実像が具体的に人びとの目に映るようになったのである。」
「 では民衆にとっての『生存』思想を言葉や行動によってどう表現するか。海の浄化と豊漁を願う金武湾ハーリー、機動隊とぶつかるなか即興で詠われた琉歌。守る会はまた、代表者の決定で住民が犠牲となった沖縄戦体験から『住民一人ひとりが代表』と考え、常に多くの住民の参加のもとで討議や交渉を行い、住民自ら金武湾の汚染実態を調査した。これらのさまざまな試みを通じて培われた『生存』思想を継承してきたのが、金武湾に続く白保の新石垣空港建設反対運動や辺野古の新基地建設反対運動であり、また林道やダムの造成、高江のヘリパッド建設からやんばるの森を守る闘いなどの、数々の住民運動であった。」