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20120410

PAC3、便乗型軍事展開、クレクレタコラ、主体的な安全保障?

4月2日の『沖縄タイムス』からいくつか拾っておいた記事。

これ以外は、地元紙で識るオキナワblogで、PAC3関連の記事がフォローできる。
「PAC3沖縄配備?」2012年3月22日
「この大げさな対応の異常さに気付かない国民」2012年3月31日
「便乗型軍事演習にすっかり乗せられた国民」2012年4月4日
「「攻撃対象地域・沖縄県」(総務省・消防庁) 許されぬミス」2012年4月6日
「「ミサイル迎撃」狂騒曲」2012年4月7日
「PAC3は地ならし 米軍に取られ自衛隊に取られる先祖の土地」2012年4月9日
「便乗型」とタイトルに付けた「地元紙で知るオキナワ」は非常に的確。ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』でdisaster capitalismに「惨事便乗型資本主義」との訳語を充てていたことへの素晴らしいcall & response となる。
いまだに安全保障が軍事一辺倒で語られる旧来の「リアリスト」たちと、その手に載っちゃうマスメディアはもはや病膏肓ということでは、ある。それ以外にポイントはたとえば
1)衛星にPAC3、役に立たなくね?
2)米軍がPAC3持ってたんじゃね?あれどうなったばー?
3)「有事」を演出した自衛隊の展開訓練に利用された。あれですね。「トモダチ作戦」の手法を自衛隊がパクッたんですね。
4)グアム移転費上乗せや普天間補修費8年分の米軍ジャイアン、クレクレタコラとも併行して起こっている。
5)沖縄県内からのがれき受入れ大合唱とも併行して起こっている。沖縄も日本なんですと自傷的に取りすがる悲惨。
など挙げられるだろうか。
ところで、去った3月31日の平和市民による新崎盛暉さんとの学習会で、日本には主体的な安全保障観が不在だということが言われていた、と参加した友人が話していた。曰く「では沖縄はどうしたいのだろう。沖縄の主体的な安全保障とは何だろうか、という問いが次に待っているんじゃないのか」と。

この友人の問いには、そもそも地域の安全保障における「主体」とはなにか、という根底からの批評と併せて、応答する必要性がある。それを感知すべき事態としてあるのが、沖縄県の「地域安全政策課」 発足とその報道だろう(地元紙で識る沖縄blog「沖縄県に「地域安全政策課」スタート」2012年4月2日にも紹介アリ)。発足させた仲井真県政は、ワシントンに事務所を設置してアメリカと直接つながりたいということを切望しているようにしか見えない。東村高江のヘリパッド建設を進める意向を堅持したまま。そして今回のPAC3配備と自衛隊の先島展開を歓迎している。こともあろうに、県庁への自衛官常駐を受け容れた

4月2日のタイムス社説「[県地域安全政策課]独自の安保観醸成せよ」は、このスジで読むべき内容となっている。

「ただ、そのためには県独自の安保観を構築することが不可欠だ。米国の軍事の論理に、いかに器用に対応していくか、という小ぶりなスタンスでは「全ては米国次第」となる。それでは、米国の都合に振り回される日本政府の後を追うことにしかならない。」

「沖縄防衛局は「辺野古移設」に前のめりになるあまり、民意を敵視するかのような異常な行動原理が顕在化している。東村高江のヘリパッド問題では、住民を訴える愚挙に出た。その横暴ぶりは「どこの国の政府機関か」と疑いたくなるほどである。」

「 同課の設置、運営には当然コストがかかる。税金を投入する以上、住民の利益に寄与することが厳しく問われる。そのためには、常に住民自治を優先する立場から情報を活用し、政策に反映させる独創的な知恵が求められる。国家の論理に翻弄されず、国境エリアを抱える地域行政の視点を大事にしてもらいたい。
沖縄が置かれた安保環境を把握するには、米国だけでなく、中国など東アジア各国の動向や市民感情の機微をつかむ必要もあるだろう。民間や自治体外交の促進にもつなげる役割を期待したい。」