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20120711

追伸-----ドゥリートは言う。


追伸-----ドゥリートは言う。
自由は明日のようなものである。それがやってくるのを寝ながら待っている人がいるかと思えば、それを手に入れようと、夜も寝ずに歩んでいる人もいる。
そして、私は次のように言いたい。サパティスタとはすべての歴史が必要としている不眠症患者である。マルコス副司令官著、小林致広訳『ラカンドン密林のドン・ドゥリート:カブト虫が語るサパティスタの寓話』現代企画室2004年。


抵抗権は基本的なものですし、ほかに不服従の権利もそうです。これらは根本的な権利なのです。そしてまた、これこそがクレームすなわち要求というものであり、真の平和主義の根源にあるものなのです。アントニオ・ネグリ『未来派左翼:グローバル民主主義の可能性をさぐる』NHKブックス2008年。


なぜ直接行動を、なぜ坐り込みやデモ行進などを。交渉というもっと良い手段があるではないか」と、あなたがたが問われるのはもっともです。話し合いを要求されるという点では、あなたがたはまったく正しいのです。実に、話し合いこそが直接行動の目的とするところなのです。非暴力直接行動のねらいは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、どうでも争点と対決せざるをえないような危機感と緊張をつくりだそうとするものです。それは、もはや無視できないように、争点を劇的に盛り上げようというものです。緊張をつくりだすのが非暴力的抵抗者の仕事の一部だといいましたが、これは、かなりショッキングに伝わるかもしれません。しかし、なにを隠しましょう、わたしは、この「緊張」ということばを怖れるものではないのです。わたしは、これまで暴力的緊張には真剣に反対してきました。しかし、ある種の建設的な非暴力的緊張は、事態の進展に必要とされています。 マーティン・ルーサー・キングJr. 「バーミングハムの獄中からの手紙」『黒人はなぜ待てないか』みすず書房1965。



公民的(civique)不服従であって、市民的(civile)不服従ではない–––対応する英語の表現(civil disobedience)をあわてて書き替えることによって、信じこまされているように。実際、問題はたんに権威に反対する個人ではない。むしろ問題は、重大事態に際して、国家への「不服従」を公然と率先して行うことによって、市民権をつくり直すような市民である。 この反抗要求を解放しなければならない。 エティエンヌ・バリバール著、松葉祥一訳『市民権の哲学:民主主義における文化と政治』青土社2000年。



 テレビを見たり、新聞を読んだり、政治家の演説を聞いたりしても、反権力がどこにあるのか、その兆候は、ほとんど見つけることはできません。そういうところで論じている人たちにとって、政治とは権力政治であり、政治的抗争とは権力獲得をめぐる葛藤にすぎないのです。政治的リアリティとは権力のリアリティなのです。そうした人たちの目には反権力は見えません。
 しかし、もっとよく見てみましょう。まわりの世界を見回してみてください。新聞の向こう側、政党の向こう側、労働団体の向こう側を見るのです。そうすれば、闘争が行われている世界が見えてきます。チアパスの自主管理自治体、メキシコ国立自治大学の学生たち、リヴァプールの港湾労働者たち、金融資本の権力に反対する国際的なデモンストレーションの波、移民労働者たちの闘い、民営化に反対する世界中の労働者たちの闘い。読者の皆さんは、自分でリストをつくることができるでしょう。いつでも新しい闘いが起こっているのです。世界全体に、権力の獲得をめざさない闘い、「させる」力に立ち向かう闘いが広がっています。全世界で「ノー」というだけの闘い(たとえばサボタージュ)が広がっていますが、そうした闘いは、「ノー」といっている過程で、自分のことは自分で決定し、世界はどうあるべきかについての別の考え方をはっきりと表明するような闘争形態をとっていくのです。ジョン・ホロウェイ著、大窪一志・四茂野修訳『権力を取らずに世界を変える』同時代社2009年。