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20120827

沖縄県の高江への向き合い方

 


「オスプレイ:安全根拠 県が国に説明要求」『沖縄タイムス』2012年8月18日 09時45分
  県は17日、オスプレイ配備に伴う米軍の環境審査(レビュー)報告書について44項目の質問状を防衛省に提出した。安全性や騒音、動植物への影響など分野ごとに詳細に尋ね、「重大な環境問題は生じない」という結論を導き出した根拠を説明するよう求めた。  ヘリ着陸帯の運用で、オスプレイの下降気流が台風並みの風速約21メートルであっても「鳥類の巣やねぐらに被害を与えない」とした根拠を要求。北部訓練場に建設予定の着陸帯6カ所の騒音予測図を示すよう求めた。(1面参照)  普天間飛行場での夜間運用が増える理由を尋ねたほか、8年前に沖国大墜落事故を起こしたCH53ヘリに放射性物質ストロンチウム90が搭載されていたことを踏まえ、オスプレイの放射性物質の有無も聞いた。  騒音について、ヘリ(回転翼)モードの割合は総飛行時間の5%と言える理由を質問。低周波音被害への認識も尋ねた。

 「県、オスプレイ配備で質問書 米環境審査で初」『琉球新報』2012年8月18日。
 米軍普天間飛行場への垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備について、県は17日、防衛省に対し、米海兵隊が実施した環境審査(レビュー)書に関する質問書を送付した。海兵隊の環境審査に対する質問書の提出は初めて。下地寛環境生活部長は「(審査書では)基本的に配備による環境への影響はないとしているが、そう理解するには疑問が多すぎる」と述べ、国としてどのように判断しているのかについても見解を示すよう求めた。

高江のblogで少し前に採り上げられていた記事だ。台風で家に閉じこもっている時間を利用して読み直してみた。高江のblogに書かれているとおり、この記事は異様な内容を伝えている。仲井真県政は問題があると認識しつつ、高江の工事を容認している矛盾を露呈した。もっと言うと、せっかく創設したご自慢の「地域安全政策課」は何してんだっつーの。又吉知事公室長は公費つかってアメリカまで行ってきたんだから、信用できない日本政府にではなく、問い合わせるべき相手は米国だったはず(地域安全政策課の問題については、この記事とかこの記事を参照して下さい)。沖縄県の高江への向き合い方の異様さが、これほどまでに露出した記事はないと思う。どうしてこんなことになるんだろう。

この報道の後、週明けの21日には、再び高江に早朝から工事作業員が入ってN4の工事を進めた。

この工事については22日、タイムスが、村長と防衛局長との「意見交換」があったという驚き呆れる事実も含めて報道している。同じ22日、新報は1面トップでケネス・グラック中将の発言を報じた。23日には、キャッチアップする批判記事も載せている。
「オスプレイ配備は県民大会後/米四軍調整官『最も安全な航空機』」『琉球新報』2012年8月22日1面。
「海兵隊資料と矛盾/四軍調整官『安全』発言/オスプレイCH46より高事故率」『琉球新報』2012年8月23日2面。




オスプレイの報道だけに注目してしまうと、「オスプレイは安全」「安全はウソ」の情報合戦みたいになっているけど、そういう読みは不毛だ。

ジャパン・ハンドの巣窟シンクタンクや日本の防衛・外務官僚スジの情報提供に支えられた発言は、沖縄への配備、辺野古基地建設、高江着陸帯新設、これらの推進を目的としている、という当たり前の点を確認しておこう。安全と強調しているのは、政策として推進しようとしている側だ(蛇足だがケネス・グラック中将といえばあの「トモダチ作戦」で海兵隊を喧伝したスポークスパーソンにほかならないことも覚えておこう)。

安全かそうでないかは、こうした利害とは距離を置いて、利害とは切り離して審査されなければならない、されるべき、されているハズ、というのが神話であるのは、原発を見れば一目瞭然。やっかいなのは、原発同様、政策対立の上位のレベルに立って裁定する機関・機能が、日本政府に備わっていないことだ(これも蛇足だが、常識的に考えて、絶対安全な航空機などない。だから航空機の安全は確率の問題ではなく厳しい法規制のなかに置かれて、かろうじて許容できるもの、軍隊の長が「安全」などと言うこと自体馬鹿げているんだけど)。

切り離して考えるということは、立場をひっくり返しても通用するよう考えてみるということではないか。

(A)たとえば推進する側が「確かに危険、だけれども配備を進める」との立場を主張するなら、そのために必要な施策は何か。この議論と説得力が重要となる。

(B)反対する側は「安全という見方もある、それでも配備を拒否する」と主張しなければならない。

下地幹夫氏も、仲井真沖縄県政も、現在行っていることは、(A)の議論の進め方だ、という点で同じに見える。ただ説得力についての考え方がずれているだけ。下地氏は「オレだろ!な?オレが沖縄のために金持って来てやってんだろ」的男気の利益誘導政治オールドスクール代表。日本政府の言質取って責任取らせて自分の責任は回避して逃げる文書主義官僚オールドスクール代表が仲井真県政という風に見えてこないだろうか。

 いっぽう県民大会サイドが避けている、あるいは失敗しているように見えるのは(B)の議論の進め方だ、という点が、こう考えると透けて見えて来るのではないか。

(A)なら、高江で現在進行中の工事を止める理由がない、進める方針に立っても罪悪感を感じなくてすむ。これが沖縄県政の高江に対する向き合い方だ。部下の口をついて図らずも暴露された「高江を止めてもオスプレイを止めることに直接つながらない」という立場だ。

そして、(B)の立場に立って反対を言わない人たちもまた、高江で進む工事を黙殺しているのも同然というわけだ。

高江が、問題なのだ。
高江こそが今回の反対運動の要諦だ。
高江の工事に反対を表明できるかどうかが、真に反対しているかどうかのリトマス試験紙になっていると、思うのだ。

辺野古浜通信も、合意してないプロジェクトも、高江の着陸帯工事反対の声を持って、県民大会に参加する。
さて、これを読んだあなたは、どう考えるだろう。
9月9日、高江への向き合い方が、ひとりひとりに問われている。