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20160802

高江ヘリパッド>国によるネグレクトという暴力

 ネグレクトとは、暴力の一形式である。

 高江ヘリパッド問題に関して、長年にわたって抗議の表明が多方面から上がってきたことは「反対決議の年表」「専門家・NGO・国際的な反対の年表」でまとめた。先日、沖縄県選出の国会議員全員が抗議行動に参加したという事実は、当然、国に対する「地元の反対」の声とすべきであるし、辺野古に決議を焦点化してきた人びとはもちろん高江の抗議をカタチにしつつある。ちゅら海人の会のニュースを年表にも追加しなければ。北谷町議会が、そしてVeterans For Peace 米国の退役軍人による平和団体もこのリストに続くかもしれないとの報道もある。
▶米で沖縄のヘリパッド反対決議へ 退役軍人の会、8月に総会 辺野古新基地撤回も『琉球新報』2016年7月26日 05:01
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-323361.html
▶米軍ヘリパッド建設抗議 高江に150人結集 県選挙区選出の衆参議員そろう『琉球新報』2016年7月27日 16:08
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-324356.html
▶「高江中止求め意見書/県内初/北谷町議会可決へ」『沖縄タイムス』2016年7月28日 2面。
▶海兵隊撤退を初決議 海人の会、辺野古と高江中止も求める『琉球新報』2016年7月31日 05:01
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-326646.html

 これに対して、日本という国は、高江の反対の声を何度も繰り返し黙殺してきた。
 最新の状況は、例えば、ニューヨークの国連で沖縄の状況について答弁を求められ「一般論」しか答えなかった大使の様子などに浮かび上がる。国連の場で高江や辺野古、沖縄に絡んで表現の自由・集会の自由が問われることは、事前に充分に判っていたはずで、すなわち日本の大使は、高江で国がやっていることは握りつぶしてよいと判断した、そのような高江軽視の答弁と見なされるのではないか。
▶「国連で高江強行着工が議論」『沖縄タイムス』2016年7月28日3面。
「沖縄で集会の自由保障している?」人権団体、日本に質問 高江ヘリパッド工事強行 政府「国内法を遵守」『琉球新報』2016年7月29日 10:31
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-325501.html

 また、機動隊暴力で県道を封鎖した工事再開が、法的根拠などなしに執行された「戒厳令」状況だったことは、まさにその言葉を用いて記事を書いたタイムスの記者らによって改めて検証の報道が始まっている。
<米軍ヘリパッド>防衛局、伐採の事前協議なし テント撤去も法的根拠なし
『沖縄タイムス』2016年7月28日 05:01
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=180468

最新の状況が次々と泡のように生まれては報道されている。だが、一時的にタイムライン上を流れているだけで、記録して繰り返し想起しなければ、簡単に忘れられてしまう。「今まで知りませんでした」「本土のマスコミが報道しない」という言い方を、何度聞かされたか。これも高江が経験してきたネグレクトの20年の経験と言えよう。

 改めて。
 ネグレクトは暴力の一形式である。とくに特定の社会集団に対して起こるとき、人種主義や差別と関連して発現する暴力の典型的な形式と言える。高江について、国が行ったネグレクト暴力の形式を、試みに次のように要約してみる。

(1)小集落にダイレクトに国策の負担を持ち込み、反対の声を黙殺する。
(2)「丁寧に説明」「寄り添う」「負担軽減」などダブルスピークを連呼し、もうばれていてもさらに連呼して、言葉の意義そのものを毀損する。
(3)小集落の指導者(と国が勝手にターゲットを定めた個人)に「受け入れ条件」を出すよう直接迫り、反対する住民との分断、話し合いの窓口の二重化を工作する。地元の代表者としてごく当然の要求を出したら「容認だ」とメディアや公式の場で何度も繰り返し喧伝する。
(4)以後、訂正してもこれを受け付けない。
(5)「地元」が自主的に受け入れたのだという形式を整えることが目的なので、内実を伴わず、約束は反故にされる。つまり受け入れ条件の要求には一切答えないか、あるいは不充分なかたちで資金提供し、形式・表面的に実施したことにする。
(6)期待通りの「地元」を演じた者を、しかし、パートナーとしては見ておらず、むしろ嫌悪する。だから責任はより小さく弱いところに向けて転嫁される。
(7)ネグレクト暴力が起こっていると明らかなのに、代表政治にこれを止めることが出来ない。セカンド・ネグレクトと呼ぶべき状況。
(8)そして、長期化する、という暴力。

 殆どが辺野古にも当てはまる。全国の様々な場所で、例えば原発の立地をめぐっても、これと同様のネグレクトの暴力を確認できるのではないだろうか。国が「丁寧に説明する」「地元に寄り添う」「意見を聞く」という場合は、大抵、このネグレクトが発現している、と言えるかも知れない。従来、「アメとムチ」という言い方で説明されてきたが、それだけでは充分に言い尽くせていない状況があると思う。

 そういうわけで、国が高江に対して行った具体的なネグレクトの実態を、最近のところから遡って見てみようと考えた。

■2016年7月、沖縄県議会決議の切り捨て
2016年7月、県議会決議に対する国の対応は報道によれば次の通りだった。
▶「「ヘリパッド中止を」北部訓練場/県議会、国に意見書」『琉球新報』2016年7月27日2面記事(Webも同じ)
「沖縄防衛局の中嶋浩一郎局長は「北部訓練場の過半の着実な返還に向けて全力で取り組んでいきたい」と述べ、中止要請には応じられない考えを示した。」
「外務省沖縄事務所の川田司沖縄担当大使は「(ヘリパッド建設を)地元は賛成し、北部訓練場の返還を願っている」と答えた。」
▶「高江工事中止を要求/県議会防衛局などへ意見書」『沖縄タイムス』2016年7月27日2面。
「中嶋浩一郎局長は「移設工事を着実に進め、一日も早い北部訓練場の過半の返還に全力で取り組んでいく」と述べた。」
・県議会の決議に「応じられない」と切り捨てた。
・「地元は賛成」と伝えた。
・「着実に」「全力で」「一日も早く」土地の返還に取り組むと語った。
地元である県民が選挙によって選出した議会の決定を切り捨てておきながら、「地元は賛成」と臆面もなく語っている。もはや高江という集落に留まらず、地方自治体である県をネグっている。また、「着実に」「全力で」「一日も早く」の言葉通りに政府が取り組んだのは、N4の先行提供と残る4基のオスプレイパッド工事再開に他ならない。
 その政府が拠り処として依存している「地元」として差し出された高江区や東村議会、東村村長の要望・要請は、どのように扱われてきただろうか。最も集落に近接するN4はやめてくれとの村議会の要請は踏みにじられ、そのN4から工事が強行され、先行提供されて現在に至っている。日本政府が地元容認の論拠にしている高江区の「受け入れ条件」なるものはどうか。区長は「再三の要請」が聞き届けられないと訴えている。重要な願いがまったく聞き届けられていないだろうことは、2016年の騒音の実態から明らかだろう。
▶「人口140人の小さな集落、沖縄・高江 「賛成なんて一人もいない」ヘリパッド建設強行」『琉球新報』2016年7月25日。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-322956.html


■2015年2月、高江住民による訂正をネグる
▶「防衛局と住民 高江ヘリパッドで認識ズレ」
『沖縄タイムス』2015年2月17日 07:43
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=103339
(以下は同記事の印刷版を参照。)
「井上一徳沖縄防衛局長は16日、北部訓練場の過半の返還に伴う東村高江へのヘリコプター着陸帯建設について抗議に訪れた住民らに「東村と高江区から容認という形で理解いただいている」と述べた。さらに、すでに完成したN4地区の2カ所の着陸帯は「既存施設の改修だ」と新たに説明。住民側は「区は反対決議を2回している」「改修ではなく、別々の着陸帯ができている。新設だ」と、認識が食い違った。」
「井上一徳沖縄防衛局長は16日、北部訓練場の過半の返還に伴う東村高江へのヘリコプター着陸帯建設について抗議に訪れた住民らに「東村と高江区から容認という形で理解いただいている」と述べた。」
「防衛局側は高江区容認の根拠として2010年7月に区長が村を介して、住宅や学校上空の飛行回避など18項目の「受け入れ条件」を提示したことを挙げた。」
「住民側は北部訓練場の過半の返還が実現していない段階で、先行的にN4の着陸帯が提供されることにも反発。住民の会の安次嶺雪音さんは「私たちには着陸帯が増えているとしか思えない。18項目を建設容認と解釈しているが、それすらも守られていない」と憤った。」
「仲嶺久美子区長は沖縄タイムスの取材に、「区は集落上空は飛ばないでほしいと要望したが、容認すると伝えたことはないはずだ。抗議決議も撤回していない」と指摘した。」
高江住民の防衛局への要請は何度も黙殺されて今日に至るが、この2015年2月の要請行動が重要なのは、「地元が容認」という言い方について、「容認していない」と明確に訂正しているという点だ。つまり、訂正したにも拘わらず沖縄防衛局はこれを無視して、2016年7月、県議会決議を持参した県議に対して「地元は容認」と説明したのである。訂正しても聞き入れず、勝手に捏造した「地元の意見」を公的な場で繰り返したということを確認できる。区長の「容認すると伝えたことはない」とのコメントは、同日のタイムス原紙記事で当たることが重要であると、高江住民の会のblogに記録されている。
http://takae.ti-da.net/e7281781.html

■2012年7月31日、国から国連に宛てた書簡
 「地元が容認した」との国の一方的な主張は、さらに以前に遡って確認できる。
 経緯は次のような流れであった。2012年2月10日、「琉球弧の先住民族会」(AIPR)
「沖縄・生物多様性市民ネットワーク」(沖縄BD)、「反差別国際運動」(IMADR)が国連人種差別撤廃委員会に対し、辺野古の基地建設と高江のヘリパッド建設は差別であり、人権侵害として早急に対応を求める要請を行った。これに対して国連人種差別撤廃委員会が日本政府に対し説明を求める質問状を日本政府に出した。
http://okinawabd.ti-da.net/e4013409.html

 日本政府は国連への返答として7月31日に書簡を発しており、外務省のサイトでこれを確認できる(正確には仮訳の日本語文のみ、日付もなく公文書と呼べるのかも不明)。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/pdfs/req_info_120731_jp.pdf
「2010 年 7月には、東村高江区から、公共施設の整備等の要請を含む「北部訓練場へのヘリパッド増設に伴う要請について」と題する要請書が提出された。」
「また、2010 年 7月に、東村高江区から要請書が提出されたことから、同区からも一定の理解を得ているものと考えている。」
文書には参考資料としてSACO合意が添付されているのみで、高江区の「要請書」などは添付されず、区の要請の具体内容も不明である。「公共施設の整備」を要請内容として特筆しているが、高江区からの要請はそのようなものだったのか(前段では「高江区から航空機騒音の測定を含む各種要請」とも)。内容を明らかにすることなく「提出された」ということだけで、高江区の理解を得たかのように説明する。
 いっぽうで、地元で重ねられてきた反対の意見について、この文書は全く言及していない。隣村の、大宜味村議会の反対決議にも言及していない。
 更に言えば、反対する地元住民を名指しで民事訴訟に訴えたことも、この文書には一切説明されていないのである。国の名で出された2008年末の仮処分申請は、高江住民が主たるターゲットだった。児童を含む15人、すなわち集落人口のおおよそ1割を、国は仮処分申請で訴えておきながら、そのことを伏せている。「地元の充分な理解」を語るのは、理解を超える不誠実さと言うほかない(SLAPP訴訟についてはすでに多く論じられている。知らない人はまずやんばる東村高江の現状blog>カテゴリー「高江SLAPP裁判」で経過をたどって欲しい)。
 「嘘はついていない、ただ書いていないだけ」。そのようなエクスキューズが聞こえてくるような責任回避の態度は、そもそも公務の質を疑われるものだ。おそらく「理解を得た」と書けば、虚偽の報告と言わざるを得ないだろうから、この文書は「一定の」理解という表現上の狡知が盛り込まれている。抗議を受ければ「一定のと書いてある、嘘ではない」などと答弁できるという心積もりが透けて見えるようだ。しかし、文言の当否をめぐっての無責任・不誠実という抑制的な評価ではなく、ここには典型的なネグレクト、すなわち暴力が振るわれていると言うべきだろう。
 さらに、150名ほどの集落が上手く機能する行政の仕組みに過ぎない互選による区長に、その最終責任の重圧を押し付ける書簡が、国の名の下に国際機関に提出され、さらに記録として公開されている。国策の脅迫的構造に地域住民を絡め取っていく様子が、如実に浮かび上がるような文書である。これが国際社会に向けて発信されているということの深刻さを、外交公務に携わる者はどう考えるのだろう。保護すべき国民=主権者という感性が欠けているのか。なぜ、沖縄に対してその感性が痩せ細っているのか、ぜひ自らに問うてほしい。

 ここで問題にしたいネグレクトの他にも、この文書には気になる内容が含まれているので、関心ある方は文書に当たって頂きたい。ひとつは「6箇所の着陸帯については、4箇所が着陸帯の新設となり、2箇所が既存着陸帯に設置される」という弁解。N4が「新設」ではなく「既存の施設の改修だ」という言い方は、先述した2015年の高江住民の要請の場で、井上防衛局長によって発言されたのだが、その萌芽がすでにこの2012年の書簡に示されていたようだ(N4は「新たな建設ではない」と言いつつ、自分たちが論拠とする高江区要請文のタイトルが「増設」となっているのを見ると、苦笑するほかない。論及されれば、「増設」は「新設」ではないと言うのだろう)。2007年のエセアセス文書には「既設ヘリコプター着陸帯に隣接する平坦箇所への設置であります」と説明されており、いつの間に「改修」とすり替えることにしたのか。先行提供するN4が新設ではなく改修ならば、住民の生活環境に及ぼす騒音被害の調査も「これまでと変化なし、あとは米軍のすることは判りません」で逃げられると考えたのだろうか。
 また、この文書のように、冒頭部分で「沖縄独特の文化」が「愛好されている」といいながら、権利平等の内実を伴わない。このような在り方を、例えばテッサ・モーリス・スズキならば「コスメティック多文化主義」と呼ぶであろう。文化的な要素を褒め称えて自分たちの一部であると簒奪しながら、正当な権利をネグるのは典型的な少数者抑圧の政治であり、厳しく批判されるようになって久しいものだ。
 「差別する目的で基地を置きました」と対外的に説明する政府など、古今東西ないだろうと思う。「差別ではない」との答弁は、だから、殆ど意味を成さない。結果として差別的処遇が生じていることが批判されたときに、公的機関としてどう対処するのか、その観点が欠けているのである。
 ただ、2012年の国連への書簡は、「要望書が出された」「一定程度の理解」と、それでも言葉を慎重に選んでいた。「容認」と明示的に書くことは出来ない内容だったということだ。ところが2015年、2016年になると日本政府は、強引な工事をしながら「地元は容認」と強弁して恥じないほど醜くなっていることを確認しておこう。

ところで高江区から「受け入れ条件」の提示があったと政府が主張している2010年7月とはどのような時期だったのか、文脈を考えてみる。すなわち、これは建設に反対する住民を名指しで民事訴訟に訴えたSLAPP訴訟の真っ最中であったという背景である。仮処分から本裁判に突入して回を重ねていた頃のこと。那覇地裁による現地進行協議が行われたのは2010年9月だった。住民運動が裁判でバッシングにあっている最中に、地域と行政を結ぶ受け皿になっている区長らを呼びつけて、日本政府の機関による、いったいどのような懐柔や圧力や攻撃があったのか、全く明らかではない。

■2010年、「係争中につき」とネグる
 同じ頃、すなわち「地元容認」の体裁を取り繕うため、防衛局が必死で区長に働きかけていた頃、2010年6月24日、「高江ヘリパッド建設計画に関する公開質問状」が沖縄防衛局長宛てに出されていた。沖縄・生物多様性市民ネットワーク(沖縄BD)ほか環境保護団体が呼びかけ、多くの人が参加して作成されたもので、SACO合意からの経緯の問題点を丁寧に洗い出し、一問一答式で回答できるよう、工夫されたものだった。同年、愛知県で開催されることになる「生物多様性条約締約国会議(通称COP10)」に向けて活動していた、環境保護を訴える市民グループによる問いかけである。
 ところが防衛局はこれに対して「係争中なので、回答できない」と言い渡している。
高江住民の会のblogにその記録が残されている(「7/28高江現地情報・公開質問状@沖防面会報告」http://takae.ti-da.net/e3123337.html)。また、その年度末(2011年)に抗議声明を発した沖縄BDのblogでも、このときの顛末が補足されているので併せて参照されたい(沖縄BD「高江ヘリパッド問題の声明文」2011年2月24日。http://okinawabd.ti-da.net/d2011-02.html)。

 自分たちが持ち出したSLAPP裁判という理由にもならない理由を押し立てて、国は説明責任を拒否した。この年、日本はCOP10国際会議の議長国を務めていたのであり、なおかつ、高江区長への執拗な「受け入れ条件」要求が、水面下で進行していたときのことである。

 国の高江に対するネグレクト暴力の行使の様相を、ごくわずかな事例を挙げて説明してみた。この時間軸をさらに遡れば次に出てくるのはSLAPP訴訟ということになる。

 冒頭のニュースに立ち返って、2016年7月の国連における日本大使の発言に反差別国際運動(IMADR)の小松氏が「日本政府は内と外で顔を使い分けることが今まで以上に難しくなっていると気付いたはずだ」とコメントしている(『沖縄タイムス』2016年7月28日3面より)。公開質問状拒否や国連書簡の例は、そのような内(国民に向き合う政治)と外(国際政治)の場面で顔を使い分けてきた過去の事例であるだろう。そして、沖縄をめぐって、これは単なる「使い分け」では済まされない、ネグレクト暴力の行使の事例と言わなければならないと思う。「ネグレクト」という見方をすることで、硬直していく思考を解放しながら、可能な抵抗を想像していきたいとも思う。
 と、ここまで書いておいて「ネグレクト」って日本語では幼児虐待のカタカナ語として(のみ)流通しているようで、慌ててしまった。日本ー沖縄関係を親子関係や男女関係に安易に転写してもらっては困る。このネグレクトに抗する方法は、「これはネグレクトだ」「ネグレクトは暴力だ」と認識すること、認識することによってネグられる権力関係の構造から我が身を引き剥がすことだろう。同時に、周囲がそのネグレクトに同調しないこと、傍観者として暴力に加担するのではない道を選ぶことだと思う。
 また、ネグレクトを暴力の形式と見なすことは、例えば目下の高江で出現している警察・機動隊の暴力、軍隊の暴力などの熱い暴力に対しての冷たい暴力というような(積極的暴力・消極的暴力とは敢えて言わずに)、いずれも暴力が行使されているとの理解を促す。機動隊による弾圧と同じ重力や過酷さで、静かで冷たい暴力も高江に加えられ続けてきた。あるいは、この冷たい暴力が容認されてきた結果として、熱い暴力の行使を可能にしているという見方も出来るだろう。米兵、警察、機動隊、防衛局員、警備員、公務員、これらの人びとが剥き出しの暴力機構の一歯車に埋没できるだけの、冷たい暴力の浸潤があったということではないだろうか。
 さらに、方法としての非暴力を選択することは、熱い暴力と同時に冷たい暴力をも拒否することに繋がるのではないかなと。最後はちょっと言い過ぎてみる。
 なぜなら、そのように目覚めた人びとが、今日も高江に向かっているから。