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20120517

「沖縄で実験」>ジョン・ミッチェルJapanTimes枯葉剤報道、第8弾!

ジョン・ミッチェル「エージェント・オレンジ「沖縄で実験した」:1962年ジャングルでの使用を文書が示す」
『ジャパン・タイムズ』2012年5月17日。

 (オリジナル記事はJon Mitchell, "Agent Orange 'Tested in Okinawa': Documents Indicate Jungle Use in 1962," Japan Times, May 17, 2012. [http://www.japantimes.co.jp/text/nn20120517f2.html]  ジャパン・タイムズ本紙またはリンクからジャパン・タイムズのサイトにてご覧下さい。)

[画像のキャプション]文書でたどる旅。ミシェル・ギャッツが持っているのがSSシャイラー・オーティス・ブランド号の航海日誌、ここで1960年代初頭、沖縄に枯葉剤を輸送したことが明らかにされている。提供・ミシェル・ギャッツ氏)

米国が1962年沖縄でエージェント・オレンジの実験を極秘裡に実施したことが、最近公開された文書により明らかになったと、退役軍人省の職員が語った。

この実験は、規定に囚われない戦闘技術の調査を行う機密計画、アジャイル計画の下で実現したと考えられ、米軍の元高官もこれを認めている。



文書には、船舶の航海日誌、陸軍の配備命令、機密開示された政府記録などが含まれており、ミネソタ州イエロー・メディシン郡の退役軍人局員であるミシェル・ギャッツによって突き止められた。

1960年代初期に沖縄の軍港でこの枯葉剤の毒を浴びたと主張する元兵士を支援するうち、ギャッツは、この化学品が米国から海外の島まで、商船SSシャイアー・オーティス・ブランド号を使って輸送された方法を、文書の断片をたどりつなぎ合わせた。

「航海日誌によれば、この船は機密の積荷を運び、1962年4月25日、ホワイトビーチ(沖縄東海岸の海軍軍港)で武装警備の監視するなか、積み卸したことが分かっています」と、ギャッツは『ジャパン・タイムズ』紙に語った。

ブランド号は、枯葉剤を、その内容を伏せて輸送し、外国港に入港する軍艦の税関検査を免れるために、定期的に米海軍に利用された民間船だった。

沖縄に到着する3ヶ月前、ブランド号は南ヴェトナムを航行し、ペンタゴンが最初に行った枯葉剤輸送の一端を担っていた。1962年春、沖縄を出航したあと、ブランド号はパナマ運河地帯へ向った。その地で米国が1960年初頭にエージェント・オレンジの実験を実施したことは、パナマ政府も認めるところである。

近年、30人以上の元米兵たちが、かれらはみなダイオキシン被曝の症状と一致する病状に冒されているのであるが、『ジャパン・タイムズ』紙に対して、沖縄の15カ所の米軍駐留施設でエージェント・オレンジの存在について語った。このことは、長期に残留することで知られるダイオキシンに、沖縄県は汚染されたままではないかとの危機感を広めることにつながった。

米国政府は繰り返し、病に苦しむこれらの元米兵への援助を拒絶し、エージェント・オレンジやその種の除草剤は沖縄に存在しなかったと主張してきた。しかし、米国政府はいまだに、1960年代に実施された枯葉剤の実験に関する記録文書の大部分を開示拒否したままである。

ギャッツは、ブランド号の運んだ積荷はこれらの実験において使用されたと考えている。すなわちアジャイル作戦、この化学品が、敵兵からジャングルや収穫を剥奪することが可能かどうか見極めることを任務としていた作戦であった。

この計画に関して、公開され入手可能な文書によれば、1962年、軍は南ヴェトナムにおける初期の枯葉剤の決定的とは言えない成果に徐々に苛立ちを見せ、陸軍の化学・生物学研究を行う未確認のグループに対して「最新の除草剤散布システムの開発」を命じた。

ペンシルヴェニアの陸軍大学に情報自由法に基づいて申請を提出した後、ギャッツはこの部隊を正確に探り当てることが出来た。米陸軍第267化学軍務小隊である。

「第267小隊は、かつてアラスカに駐屯していたが、1962年には不可解なことだが活動を停止し、その後、沖縄に移転となった。その島の熱帯植生で枯葉剤の実験を行うために、移駐したのだ」とギャッツは言う。

第267化学軍務小隊が「レッドハット作戦」、日本に施政権返還される前の沖縄から、1万2000トンの米軍の生物化学兵器を移送した作戦にも関与していることは、元米兵の証言や、2009年の退役軍人省の枯葉剤裁定で指摘されている。

昨年9月、退役した元米軍高官の話が『沖縄タイムス』でヘッドラインを飾った。彼は軍隊の沈黙の壁を破って、ペンタゴンが、この島の北部、国頭村と東村付近のジャングルで枯葉剤の実験を行ったことを証言したのである。

新聞のインタビューでこの高官は、名前を明かさずに、沖縄はヴェトナムと植生が似ているうえに、潜在的な危険から他の場所では制限されるような厳しい安全規制がないので、この種の実験地として選ばれたのだと語った。

ギャッツがつなぎ合わせた一連の出来事について読み終えたこの退役高官は、匿名のままにするよう求めつつ、彼女の推測が正しいことを認めた。しかし彼は、彼女の発見が明るみになることで仕事を奪われるのではないかと、今はギャッツを心配していると付け加えた。

ギャッツは、結果がどうなろうと真実を追究する決意を語った。

「これらの文書は、決定的な証拠なのです。国防省はもはや沖縄に枯葉剤が存在しなかったなどと否定し続けることは出来ません。もうそろそろ、潔く認めて、病に苦しむ彼ら元米兵たちに、相応しい正義を行うべきときなのです」。



[訳者注]以下は、翻訳者によるメモです。

(1)本記事で採り上げられた事項は、ジョン・ミッチェル氏の先行する論考のなかで紹介されているので、それを参照されたい。
Jon Mitchell, "Agent Orange on Okinawa: New Evidence," The Asia-Pacific Journal: Japan Focus, Vol 9, Issue 48 No 1, November 28, 2011.
http://www.japanfocus.org/-Jon-Mitchell/3652
日本語訳は以下で。
ジョン・ミッチェル「沖縄のエージェント・オレンジ:新証拠」『アジア太平洋ジャーナル・ジャパン・フォーカス』2011年11月28日。
http://www.projectdisagree.org/2011/12/japan-focus-id3652.html

Jon Mitchell, "Evidence for Agent Orange on Okinawa: U.S. veterans speak about its harm to their health and their struggle for justice," Japan Times, April 12, 2012.
http://www.japantimes.co.jp/text/fl20110412zg.html
日本語訳は以下で。
ジョン・ミッチェル「沖縄におけるエージェント・オレンジの証拠:米退役軍人たちが、その健康被害と正義の闘いを語る」『ジャパン・タイムズ』2011年4月12日。
http://www.projectdisagree.org/2011/12/2011412.html
(ちなみに、この記事は『ジャパン・タイムズ』読者が選ぶ「ツァイト・ガイスト」10年間のベスト3の記事として選ばれました。)

Jon Mitchell, 'US Military Defoliants on Okinawa: Agent Orange,' The Asia-Pacific Journal Vol 9, Issue 37 No 5, September 12, 2011.
http://www.japanfocus.org/-Jon-Mitchell/3601
日本語訳は以下で。
ジョン・ミッチェル 「沖縄における米軍の枯葉剤:エージェント・オレンジ」『アジア太平洋ジャーナル・ジャパン・フォーカス』2011年9月12日。
http://www.projectdisagree.org/2011/12/japan-focus-id-3601.html


 (2)重要なキーワードについて今後の参考まで、簡単にピックアップしておきたい。参考サイトなど情報が見つかったら、追記することにする。
「アジャイル計画」あるいは「アジール計画」Project AGILE 
アジャイル計画のうち、機密解除された文書のいくつかは、米国農務省図書館のエージェント・オレンジに関する特別コレクション内で確認できる。 Advanced Research Projects Agency, Project AGILE, R, "Semiannual Report, 1 July- 31 December 1963," found in Special Collections of the National Agricultural Library, The Alvin L. Young Colletion on Agent Orange, Series II. Military Use of Herbicides, 1950s- 1980s, File #340.  
http://www.nal.usda.gov/speccoll/findaids/agentorange/
http://www.nal.usda.gov/speccoll/findaids/agentorange/text/00340.pdf

「シャイラー・オーティス・ブランド号」SS Schuyler Otis Bland 
→船に詳しい人、たのむ!
→先日放送されたQABの枯葉剤に関する特番ドキュメンタリでは、これとは別の輸送船「トランスグローブ号」も枯葉剤輸送を担った疑いが指摘されている。輸送船からたどる枯葉剤問題。

「パナマ運河地帯」the Panama Canal Zone 
 パナマ運河の開削は、ほとんど世界史教科書の知識の世界だが、スエズ運河にも関与したフランス人レセップスが着手した後、米国の手によって継続された歴史的背景がある。「棍棒外交」などと呼ばれたセオドア・ローズヴェルト大統領時代に、1903年独立したパナマ共和国と運河条約を締結し運河地帯を「永久租借」して、1914年に開通した。「運河地帯」は、運河関連施設のみでなく、米軍の演習場にも提供される。沖縄の北部訓練場とならぶジャングル戦闘訓練の拠点であったという視点が、ここでは重要になるだろう。ヴェトナム戦争期に演習地として利用された拠点が、世界中に点在している、沖縄の北部訓練場はそのなかのひとつだったのだ。ところで、パナマ運河地帯は米カーター政権の「平和外交」路線で、1977年新運河条約が締結され、紆余曲折あるものの、そこに約されたとおり1999年末までの撤退完了とパナマへの返還が実現した。
→ ラテンアメリカ史的に詳しい日本語のサイトがありました。『世界飛び地領土研究会』>「パナマ運河地帯」[http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/america/panama.html]
(この「世界飛び地領土研究会」、気になるねぇ。)
すなわちパナマ運河地帯返還というある意味20世紀のアメリカを象徴する歴史的出来事と、同時進行していたのが、普天間飛行場機能の刷新計画と新機種オスプレイ配備(1992年ごろからか)、SACO合意(1996年)と、そこで示された北部訓練場の(約半分面積返還の名を借りた)機能強化だったとみるべきではないだろうか。

サンフランシスコ講和から60年、日本への施政権返還から40年経ってなお、海外占領地である沖縄から米軍基地が撤退しないのは、アメリカにとっては20世紀の重荷の積み残しであると見るべきだろう。
ジャングル訓練を体験した米兵たちのあいだで北部訓練場での訓練映像がまるでボーイスカウト夏合宿の思い出のようにYouTube画像でシェアされ、そこに「米軍唯一のジャングル戦闘訓練拠点」と記されている。フェンスのステイトサイドから見る訓練場の表象。
http://www.youtube.com/watch?v=44wEXfKRu30
植民地、ジャングル戦闘訓練、枯葉剤作戦、20-21世紀転換期の米軍再編合意、居座り続ける北部訓練場とヘリパッド問題、連結して考えるべき事柄だと思う。

「米陸軍化学軍務小隊」U.S. Army's 267th Chemical Service Platoon 
 適切な日本語訳があれば、後日変更します。

「赤帽作戦」あるいは「レッドハット作戦」Operation Red Hat 
 赤帽作戦期間中のエージェント・オレンジ処分の疑いについては、前述の訳注(1)であげたジョン・ミッチェル氏の論考を参照。毒ガス移送作戦「レッドハット作戦」(1971年)については、40年を迎えた2011年に沖縄県立公文書館や沖縄市歴史資料館ヒストリート、県内2紙でもさまざまに回顧する企画が行われたので、そのあたりの記録を参照されたい。
YouTubeでこのときの米軍側の撮影記録の一端を見ることが出来る。
PublicResourceOrg "Operation Red Hat: Men and a Mission".
[http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=ApT4-zKF8OY]
27 分間ほどの映像記録で、アップロードしたPublicResourceOrgのメモによれば出典は以下。Operation Red Hat : Men and a Mission -- National Archives and Records Administration 1971 - ARC Identifier 3033306 / Local Identifier 175.79 - Department of Defense. Department of the Army. U.S. Army Materiel Command. U.S. Army Munitions Command. Edgewood Arsenal. (08/01/1962 - 1971).
267部隊と書かれた看板(?)をスプレーペイントで消 す様子、移送トレーラーに掲示された赤い帽子のデザインや担当者がつけてる(この作戦のために作った?)赤い帽子、取扱いに当たってのマニュアル冊子(県 立公文書館に所蔵されていると写真で見たことがあるヤツ)、第267小隊の隊長ウィリアム・xxx氏(聞き取れず)のインタビューの肉声、 毒ガス類を積載して、"That's all, folks" (これで全部だよ)との巨大な横断幕を掲げて天願桟橋から出航する様子などなど、情報と表象の宝庫。


2009年の退役軍人省の枯葉剤裁定
 前述の「赤帽作戦」による毒ガス移送の際に、枯葉剤も含まれていたとする退役軍人省のモンタナ州フォート・ハリソンの裁定を指している。前述の訳注(1)文献(2011年9月の論文)を参照されたい。



「昨年9月、退役した元米軍高官の話が『沖縄タイムス』でヘッドラインを飾った。」
「元高官証言『沖縄で枯れ葉剤散布』」『沖縄タイムス』2011年9月6日。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-09-06_23051/
記事紙面はたとえば以下で確認できる。
http://takae.ti-da.net/e3712458.html

(3)[追記]人名のカタカナ表記はいつも悩むところですが、Michelle Gatzさんのお名前の表記を「ミシェル・ギャッツ」に訂正しました。過去の記事の翻訳にも徐々に訂正を入れたいと思います。。。アメリカで女性名に使われるMichelleはフランス風なニュアンス含みありなのかなと(レノンのポールの「ミシェル・マ・ヴェール」とか 【5月20日追記、いやーお恥ずかしいことです。ミッシェルは、ポールさまの楽曲でありました。こういうところで抜かりがあるなんて!知ったようなこと書いたらイケマセン。ちゃんと調べて確認しましょう。トホホ】)想像し、オバマ大統領の妻も、ハリウッド女優ファイファー氏もミシェルと表記するので、元の綴りを連想しやすいだろうと思います。また著者のジョン・ミッチェルさんと区別するのにも都合がよい。じっさいのところ発音はどうなんでしょうか。きっとQABが次のドキュメンタリを制作してくれれば、音声で確認できるハズ。なんてね。
Gatzのほうは、口蓋をべたっと平たくする感じの発音が好みじゃないから、「ギャ」って表記しないのが自分の常なのですが、日本であまりに有名な名「ギャツビー」の表記に近づけて元の綴りを連想しやすくする、反対に「ガッツ」と書いて gutと混同することを避ける、など考えて、改めました。音的には「ガッツ」「ギャッツ」どっちでも通用するんじゃないかと思います。たとえばガヴァン・マコーマックさんのことを「ギャヴァン」とは書かない慣例(宇宙刑事ギャバンって昔ありましたが) とかあるし。ちなみにNHKのアナウンサーはどう考えても「画板」と発音しているのが気になります。