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20111215

高江SLAPP訴訟、那覇地裁で結審しました

今日は傍聴席の3倍以上の人が詰めかけました。当たり券を、中に入るべき大切な人たちに譲って下さった方々も沢山。主要なリーダー的人物にだけでなく、初めて法廷に来た若い人にぜひ直接見てほしいと傍聴券を譲られる方もありました。こうした温かい支え合いをいつも素敵だと感じます。そして、今日も高江の座り込みに向かって下さった人たちもいます。私もまた、席を譲って頂いたものとして、感謝をこめて、今日の法廷の様子の一端をご紹介したいと思いました。以下は高江弁護団の素晴らしい揺るぎない主張の要約メモです。(※聞き書きは正確ではないので、文書など引用に利用するばあいは、公的な記録を待ってそれを参照して下さい。勝手に小見出しを付けてみました。)

<国による民事訴訟?>
裁判所によく見て欲しいのは、これは民事訴訟だが、対等な市民同士の関係での訴訟ではないという点。国はまさに国家権力そのものであり、当事者2名を守る立場にあるべきではないか。国に対する批判や抗議を許さないというのは、民主主義ではない。国は批判を甘んじて受けとめるべきで、そもそも、ふたりは何の理由もなく反対しているのではない。

<すでにある被害>
すでにあるヘリパッドの被害。墜落の危険は具体的なもので、忘れてはならないのは、昨年末の超低空ホバリングによる被害について、米軍が「通常の訓練」と説明した際に国は有効な対応を出来なかった。

<オスプレイ>
ヘリパッドはオスプレイの訓練を念頭においており、使用は確実。構造的欠陥を持っている機種。当事者ふたりの抗議と説得活動はこうしたことを止めて欲しいという思いによるもの。

<民主的な手続きの方途を断たれた人びとの抗議>
人によっては、反対活動はもっと民主的手続きに則って行うべきとの意見もあるかもしれない。しかし、民主党政権に交代して後、たびたびの態度変更のことを考えるべき。東村や高江区が容認などと説明しようとしているが、民意が歪められている。仲井間知事の容認も、オスプレイ配備が明らかになる以前のことである。オスプレイの事実を隠しておきながら、地元が容認しているなどというのはデタラメ。現地で抗議しなければどうなっていたか。抗議は全く正当なもの。

<ヘリパッド建設の必要性>
国が強引に進めようとしているヘリパッド建設は本当に必要なものなのか。専門家証人の尋問で明らかにされたとおり、海兵隊の沖縄配備の必要性は米国でも疑問視されてきている。アメリカが必要ないもの、いらないものを返すのに、アメリカのわがままに日本政府が付き合って、高江に押しつけようとしているものだ。

<妨害の証拠はない>
ところで、いかに正当な抗議でもその手段は問われるべきかもしれない。当事者2名の行為は、暴力に訴えることなく、国がやる不当な押しつけから生活を守りたいと、やむにやまれず行う抗議であり、国はこれを甘んじて受けるべきである。国の提出した証拠には、ふたりが妨害していると認められるものがなく、誰かに指示をしたという証拠もない。そもそも、証拠はどれも、通行じたいの可否が問題になっていないものや、数分程度の短い時間の抗議など。国側証人の現場責任者で仮処分の指定代理人であった者は、ふたりの行為について殆ど記憶もなく、妨害というような目立った行為はなかったということに他ならない。国側の証拠は破綻している。

<スクラムと座り込みについて>
スクラムを組むとは、腕を組んで隣の人と団結して頑張ろうという意志表明であると同時に、腕を組むことで相手に対して手を挙げない非暴力の意志を示している。弱い者たちが集まって非暴力で行う行為は、座り込むことによって、身を賭して守りたいものがあるという意志の表明であり、座ることは、攻撃をしないという意思表示である。力に訴えないで、土地を守りたいという思いで座り込むのである。

<「第三者をして」の問題性>
国が言う「第三者をして妨害させている」という主旨は、大きな問題である。憲法で保障された表現の自由である、集会やネットの発言までが妨害の証拠だと述べるに至っているのは問題。また、第三者に何をさせてはだめなのかも説明できず、表現活動の萎縮につながっている。

<SLAPP訴訟>
国の請求はこのように根拠のないものなのに、なぜこのような裁判を起こしたのか。これはSLAPPというしかないもの。国にとっては勝ち負けの結果は関係なく、ただ裁判の手続きに引きずり込むことを目的としている。現に裁判中にも工事に来ており、証拠の提出もノラリクラリと後出しで証拠を出す。国は裁判を終わらせる必要がないからだ。

<国による民事請求の妥当性>
そもそも国の所有権は充分に説明できるのか。請求権にも疑問がある。

<クリーンハンズ原則>
また、杜撰なアセスの問題もある。クリーンハンズ原則にもとるもの。汚れた手で法の救済を求めるとは、言語道断である。

<沖縄の銃剣とブルドーザー>
米軍基地を拡張しようと文字通り土地を奪われた歴史がある。そのなかで、伊江島の人びとは、相手が略奪者でも、ひとりひとりに説得を試み共感を得ようと努力した。そこには陳情規定というものがあった。あまりに理不尽なことだが、この時の土地収奪は法的な手続きに則って行われたと言う。このとき伊江島の人びとは、破壊者だったのか。違うだろう。本件当事者は、阿波根昌鴻の名前を理想として挙げ、共感を呼べるような活動をしたいと語っていた。

<裁かれるべきは>
ところで、阿波根昌鴻の米軍統治の時代ではなく、今日は個人の人権が守られるべき時代なのであり、自らの尊厳を求める当事者ふたりには恥も不名誉もない。反対に田中元局長発言に見られるように、防衛局はお上の言うことに従えと、力ずくでねじ伏せるというやり方。
裁判で裁かれるべきは国です。



【おまけ】画像は最近かなりアヴァンギャルドになってきている「りゅうちゃんクイズ」。こたえだけ見て、このクイズの問題はなんだったのか、を当ててみて下さい。
A.沖縄にある暴力装置の名前は?
B.沖縄で乱暴狼藉をはたらいても起訴されない人たちは?
C.沖縄の豊かさを阻害し自然環境を破壊しても憲法で規制できないのは?
D.沖縄で税金を無駄遣いし被災地に送るべき予算を先に横取りしクリスマスだイルミネーションだといって節電する気もないのは?