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20120928

たかえのために>俺たちの陳情、2012夏。

高江のための「合意してない」県議会宛て陳情書。
「たとえばこんなカンジさ〜!」と、提出したよ情報が寄せられたのでここに紹介します。



2012年9月27日 
沖縄県議会議長 喜納昌春 殿 

北部訓練場のオスプレイパッド建設計画について反対決議を求める陳情 

 陳情事項:沖縄県議会に対し、以下について決議下さいますよう陳情いたします。

 1. 北部訓練場で強行されているオスプレイ運用のための着陸帯建設に反対し、工事の即時中止を沖縄県政として日米両政府に対し強く求めること。

 陳情理由 
 2012年6月、沖縄県議会をはじめとして県内全市町村議会が県内へのオスプレイ配備計画の撤回を求める抗議決議・意見書を全会一致で可決しました。さらに、9月9日に開催された「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」には非常に多くの人が集い、配備反対の声を上げ、大会決議を採択しました。

    しかし、どの決議書にも北部訓練場におけるオスプレイパッド建設について反対する事項は一切盛り込まれていません。

  やんばるの東村高江では、地域住民の方々が、新たに建設される着陸帯がオスプレイの運用を予定しているものであることを2007年の時点から指摘し、説明を求め、反対してきました。

  先日公表された米軍の「環境レヴュー」にも北部訓練場でのオスプレイの使用が明記されており、東村高江区でのヘリパッド建設が、オスプレイのための工事だということは誰の目から見ても明らかです。新たな着陸帯建設の理由として、東村や県が「北部訓練場の過半の返還に伴う負担軽減」を主張することは、全沖縄県民を欺く行為であることが証明されました。高江区にオスプレイパッドが建設され訓練が強行されるとなれば、高江だけでなく沖縄県の空域全体をオスプレイが飛行することになります。オスプレイ配備に反対している県が、高江の工事を容認し続けることは、結局はオスプレイ配備そのものを容認することであり、県民の生命を軽視していることと変わりはありません。

  しかし、県は、現在に至るまで、建設に対して容認する姿勢をとり続けています。さらに、自らや地域の安全そして自然環境を守りたいという信念に基づいて抗議を行なう住民たちに対して、国が運動の弾圧を目的に個人を訴えるという、いわゆるスラップ訴訟が起こされたことについても、依然として沈黙を決め込んでいます。それにもかかわらず、高江で強行されてきたオスプレイパッド建設について、県がいまなお反対の姿勢を示さないのは、高江区とそこに居住する人々、そして沖縄に生きる全ての生命が脅かされていることを黙殺することに他なりません。

  県民大会の壇上で、加藤弁護士が述べた「沖縄の未来をつくっていくのは、あなたでありわたしである。そして平和な沖縄をつくるのは私たち自身である」という言葉に呼応して会場から上がった賛同の声や拍手や指笛は、そこに集った民衆全ての意志を表明するものでした。この民意を、県民を代表する議会が反映させるならば、オスプレイ配備反対の表明に留まらず、もうどこにも新たな軍事訓練場や基地を造らせないという確固とした姿勢を打ち出すのが当然であるべきです。そして、オスプレイ配備のみではなく、オスプレイパッド建設そのものに対し反対することが、県民を守る立場にある代表者の方々の責務であるはずです。

  私たちは、過去、沖縄で起こった出来事をはっきりと憶えています。

  2001年9月11日。僕は、小学校3年生だった。台風で学校が休みになった日、夜10時にテレビをつけると、全てのチャンネルが、二つのビルに飛行機が突っ込んでいく映像を映し出していた。その日を境に、すぐそばの基地のゲート前には銃を持った米兵がいつも立つようになった。僕は銃を持っている身体の大きな米兵がただ怖かった。

  2004年8月13日。私は、高校3年生だった。夏休みで静まり返った学校の教室で、ついさっき沖縄国際大学にヘリが墜落したことを友達から聞いた。ゾッとすると同時に、墜落の先に友人や従兄弟達、親しい人たちがいなかったかどうかという不安に駆られた。携帯で連絡を取り合い、お互いの無事を確認し、誰も死んでいないということに安堵した。翌日の事故現場には、まだ焦げた匂いが充満していた。

  2008年10月24日。僕は、高校3年生だった。その日は何か違っていた。いつもの帰り道とは何か違う。覆面パトカーやMPが何台もサイレンを鳴らしながら僕の前を通っていく。午後6時半頃、名護市真喜屋で米軍嘉手納エアロクラブ所属のセスナ機が民家近くのサトウキビ畑に墜落・炎上していた。現場はすでにバリケードで囲まれ、何が起こったのかわからない。そんな状況だった。何もできず沸々と怒りがわき上がってきた。

  2012年現在、未だに沖縄の空には軍用機が飛び交い、地上には米軍基地の鉄条網が張りめぐらされている。この光景は、私たちが小・中・高校生だった頃から何一つ変わっていない。それどころか、以前よりもさらに強い恐怖に日々曝されている。

  あのとき私たちは、選挙権も投票権もない年齢でした。ここ沖縄には、当時の私たちと同じ年齢の多くの子どもたちがいます。そして、北部訓練場に豊かな森を奪われているやんばるにも、たくさんの子どもたちがいます。

  このような陳情書を、将来私たちと同じ年代になる今の子どもたちが再び書かなくてすむように、あの頃子どもだった私たちが陳情します。

  もはや、北部訓練場のオスプレイパッド建設計画は高江区に限定された問題ではなく、私たちすべての生活と権利を脅かす問題です。高江の空や森そして未来は、私たち沖縄を生きる全ての人々の暮らしや生命、未来に連なるものです。

  どうか、北部訓練場のオスプレイパッド建設計画について、日米両政府に対してはっきりと反対の姿勢を示し、工事の即時中止を強く求めてくださいますようお願い致します。