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20111201

「これは言説の闘争である」抗議声明by合意してないプロジェクト


これは言説の闘争である。

2011年11月29日『琉球新報』の報道で明らかになった田中聡沖縄防衛局長のレイピスト的発言は、前例のない早さで対応が検討され、その経過もまたこれまでにないほど刻一刻のスペクタクル的報道で伝えられ、その日のうちに、「女性や沖縄を侮辱する不適切な発言」(『沖縄タイムス』Web版11月29日20時43分ほか)のため局長は更迭となった。

単なる不適切発言では済まされない。それ以上に、日本政府の対処は、問題のすり替え、局所化、矮小化に他ならない。局長の更迭を言う藤村修官房長官はその舌の根どころか舌先も乾かぬ口で、環境影響評価書の年内提出、辺野古への基地建設について「進める」と明言した。田中氏の言葉を使うなら「犯(や)る」ということだ。ここにおいて田中氏の発言は個人の見解がリークされた不幸な失言ではなく、日本政府による沖縄への基地負担の強要がまさにレイプそのものであることを、直裁に発言したに過ぎないことが了解できよう。これまで度重なる米兵によるレイプ、轢殺、大学キャンパスへのヘリ墜落と現場の制圧[1]など米軍による抑圧のなかを生き抜いてきたこの沖縄で、今日ついに、沖縄をレイプするものとしての日本が、その輪郭をあからさまにしたのである。

この発言は、八重山地区での強権的な教科書選定という脱法状態、反対する地区に教科書の有償を強迫する憲法の剥奪状態[2]、与那国へ自衛隊配備を強要する「国境の顕現」状態[3]、地位協定の改定を拒む日米政府による沖縄の例外化状態[4]という文脈のなかで、まさに起こったのであり、拡散的で持続的な抗議こそが相応しい。

そして、この問題の本質をもっとも端的に表していたのは、東村高江の状況である。

直前の11月25日、高江のヘリパッドもといオスプレイパッド建設について田中氏は「北部訓練場の過半を返還するためにやっている工事で、反対だということ自体、正直言って私には合点がいかない」と発言したことが報道されている。ここ数週間、防衛局が高江に対して行っているのは、抗議する住民の犯罪者化であり、裁判所の悪用では飽きたらず、警察権力を行使するよう沖縄県警に圧力をかけていることは一目瞭然の事実である。にもかかわらず、レイピスト発言が問題化した今日も、防衛局は臆面もなく高江で工事を強行しようとした[5]。

すなわち、今回の発言のみによって防衛局長の糾弾を終えてはならず、また、防衛局長個人の過失や舌禍としてのみ、この問題を収束させてはならない。抵抗を黙らせ、抵抗を黙殺し、抵抗を否定し、抵抗を力でねじ伏せたうえで、事後的に「合意のうえだった」と言う準備をしている[6]。まさにレイプの構造そのものではないか。だから私たちは繰り返し言い続ける、「合意してない」と。

そもそも防衛局が主催する報道陣との居酒屋懇談会と、そこで交わされるオフレコの談話とは一体どのような空間なのか。「酒席でこそ重要な話を聞ける」とあざとく期待するジャーナリズムと、そういう関係づくりによって「ネタ」のリークをコントロールできる気になっている防衛行政の双方によって共犯的に温存されている空間だからこそ、このミソジニー的発言は露出したのだということを、確認しなければならない[7]。

仲井真沖縄県知事は当初、コメントを拒否する意図を表現するのに「口が汚れる」と語ったと報道された。痛烈な一矢を放ったつもりかもしれないそのナイーヴな言葉の選択こそは、セカンドレイプの言説構造として指弾すべきものである。レイプによって汚されるものはなにか。沖縄の戦後史に折り重ねられてきた、幾多の犯された身体は、「汚れた」ということばによって封印され、沈黙を強要されてきた。いまこそ、この暗い封印は解かれなければならないのであって、豊かに饒舌に抗議と解放の言葉が紡がれなければならない。

また私たちは、この報道が支えている男根主義的な言論に対し遅滞なく強い異議を唱える。曖昧さと表現の揺れを含みながら様々な報道や発言のなかで伝えられた「犯す」「やる」「男女関係」などの語において、犯されるものとして対象化されたのは当然のごとく「女」だった点を見逃すことは出来ない。あらゆる報道と発表は男の側に立ち、「女性をさげすみ」と書くことで自分自身が犯されている恐怖をやり過ごしながら、女に対するレイプの話でこそ「怒りのマグマ」が起ち上がるという男根主義を露呈した。1995年の事件を引き合いに出す、そのディスコースから、私たちは離脱する必要があるだろう。1995年を参照するならば、それは同様の失言が繰り返されてきたとの指摘や、「女性差別」というステレオタイプ化した非難ではもはや充分ではない。1995から私たちが学んだものは、軍隊と性暴力についての根本的な問いかけであり、運動の内部に誕生した新しい運動であり、沖縄の外へと開いて結ばれる運動のつらなりであったはずだ[8]。

だから、こんな時には、具体的な抗議の声はいつも「怒りのマグマ」ではなく時宜を得た女たちの発言であることを、即座に思い起こしておこう。相応しく抗議したとき、それをつぶしにかかる男根主義的言説空間は沖縄の社会のなかにある[9]。「守ってやる」=「いつでも殺/犯/やるぞ」の構造は沖縄における安保体制そのものが植民地主義でありレイプの構造であることを雄弁に物語る。そこに裂け目、亀裂を入れる声を、私たちはいつも、何度でも、思い起こさなければならない。そして「女」ということばが能動的に駆動し意味を持ち始めるのはいつもこのような瞬間なのである。

私たちは言説の闘争のただ中にある。

メア発言があらわにした米国の、そしてこのたびの防衛官僚による日本の植民地主義と同時に、この共犯的な男根主義そのものを覆さなければ、沖縄における反基地運動の意味が深められることはないだろう。

2011年11月29日
合意してないプロジェクト
(以下、賛同人名は随時追記します。)
阿部小涼 新城郁夫 岡本由希子 田崎真奈美 田仲康博 徳田匡 森啓輔 柳田敏孝 坂下史子 大城永子 多田治 渡真利哲 内海恵美子 村上陽子 浦崎成子 戸邉秀明 若林千代 佐藤泉 木村厚子 松田潤 大胡太郎 安部真理子 児島博紀 仲渡尚史 吉田裕 松川莉奈 西脇尚人 平井玄 首藤久美子 秋林こずえ 鳥山淳 小池まり子 黒澤亜里子 須藤義人 西泉 東琢磨 岡本由希子 萩谷海 森美千代 殿平有子 道面雅量 福永貢介 福永恭子 大野光明 堀真悟 我部聖 土井智義 持木良太 當山和美 上原こずえ 横山正見 桑江彩子



<注記>
[1]調査可能な範囲でまとめられた資料として、基地・軍隊を許さない行動する女たちの会編『沖縄・米兵による女性への性犯罪(1945年4月-2001年6月)』第6版がある。沖縄国際大学ヘリ墜落事件については、黒沢亜里子編『沖国大がアメリカに占領された日:8.13米軍ヘリ墜落事件から見えてきた沖縄/日本の縮図』青土社2005年。
[2]八重山教科書問題については(ニュース検索結果を表示)。
[3]与那国への自衛隊配備については(ニュース検索結果を表示)。
「国境の顕現」状態とは、屋嘉比収『沖縄戦・米軍占領史を学びなおす:記憶をいかに継承するか』世織書房2009年の第11章タイトルから着想した。占領米軍政府が、与那国と台湾とのあいだに、そこに暮らす人びとの実感とはかけはなれた国境線を顕現させ、「沖縄の対内的安全保障の確保を説きながら、新たな国境線を再構築した」と分析している。今日の与那国への自衛隊配備の文脈を考えるうえで想起すべき語である。
[4]地位協定改訂に関する2011年の大きな焦点は、交通事故を起こした「公務中」の軍属の起訴に関する見直しだった。2011年1月の與儀功貴さん轢殺事件を受けて日米地位協定の見直しが要請されてきたが、日本政府は「運用見直し」にとどまっている。この間、しかし、裁判権についての米側の規定との解釈差が明らかにされつつある。一例として、「軍属裁判権は接受国優先 米法に明記」『沖縄タイムス』2011年12月1日
[5]東村高江の現状blog http://takae.ti-da.net/
[6]レイプ発言と同月の11月17日、田中防衛局長はキャンプ・シュワブを受け容れざるを得なかった辺野古の過去に言及しながら、「地元中の地元は、自分たちの条件を認めれば容認すると決議している」と発言している。「辺野古区は反対せず 防衛局長、地元理解で強調」『琉球新報』2011年11月17日。大西照雄氏はblogでこの点を今回発言と的確に結びつける指摘を行っている。
[7]最初の新報の報道は発言内容を「これから犯すまえに「犯しますよ」と言う人はいない」としていた。じっさいに起こるレイプは、むしろ「抵抗すると殺すぞ」「周りにバラすぞ」という深刻な脅迫を伴うものではないだろうか。つまり発言そのものが、レイプ神話の上に成り立っていて、それこそがミソジニーの存在を暴露しているのではないか。それをレイプの比喩として「了解」してしまった居酒屋の取材という会話空間の共犯関係への批判も含めて指摘しておきたい。
[8]事件を契機に「基地・軍隊を許さない行動する女たち」が誕生し反軍事主義の国際ネットワークを構築するに至っている。
[9]たとえば次のような発言を想起する必要がある。
私は被害者の1人として訴えます。私は、高校2年生のときに米兵によるレイプを受けました。学校帰りにナイフで脅され、自宅近くの公園に連れ込まれ3人の米兵にレイプされたのです。本当に怖かった。「もう終わりだ、自分は死ぬのだ」と思いました。何度叫ぼうとしても声も出せずにいました。そのとき米兵は「I can kill you」と言いました。「殺すぞ」ではなく、「殺せるぞ」と言ったのです。(稲嶺知事[当時]への公開質問状、『沖縄タイムス』2005年7月9日。)

「事件が起きた時、ある意味死んだようなものだった。外相発言でもう一度つぶされたというか、極端に言えば死ねといわれたような、気持ちになった」。「被害に遭っても黙っておけということだと思った。これがセカンドレイプというものだと思う」。「国のために国民があるのか、国民のために国があるのか。沖縄の歴史の中で、軍隊は一度も住民を守ったことはない。それなのに国民は平和であるというなら、平和でない状況にいる沖縄の人は、国民じゃないということでしょうか」(町村外相[当時]への最後の手紙、『沖縄タイムス』2005年7月15日。)

県議会(仲里利信議長)の2月定例会は26日、一般質問2日目の質疑が行われたが、米兵女子中学生暴行事件をめぐり比嘉京子氏(社大・結連合)が仲井真弘多知事に対し「知事は言葉で少女をセカンドレイプしている」と発言したため、与党と執行部が一斉に「不穏当発言」と反発。午後5時すぎから4時間半、議会が空転する事態となった。空転は2006年6月定例会以来で、仲井真県政では初めて。比嘉氏は「知事の人格と議会の品位を著しく傷つける不適切な発言だった」と謝罪し、発言を撤回して事態は収拾された。
比嘉氏は知事が「アジア太平洋地域の安全と少女の安全を守ることはどちらが大切か、これは選択できるようなものではない」と答弁したことに対し、「県民の人権を預かる最高責任者としての認識が欠落している」と指摘。「セカンドレイプしている」と発言した。(『琉球新報』2008年2月27日。)