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20120917

ジョン・ミッチェル、ヘザー・バウザーの沖縄訪問記


ジョンさんのジャパン・タイムズ記事、今回は先月来沖したヘザー・バウザーさんの沖縄訪問記。沖縄・ヴェトナム・アメリカが、痛みを共有する人たちによってつながろうとする奮闘の記録です。


ジョン・ミッチェル「エージェント・オレンジ問題で活躍する米国のアクティヴィスト、連帯のメッセージを携え来沖:ヘザー・バウザー、組織づくりをして政府に情報開示を要求しようと地元の人びとに語る」『ジャパン・タイムズ』2012年9月15日。

原文は以下。
Jon Mitchell, "U.S. Agent Orange activist brings message of solidarity to OkinawaHeather Bowser tells locals to start organizing and demand disclosure from government," Japan Times, September 15, 2012.

[写真キャプション]直接影響を受けた:8月末に訪沖し宜野湾市の米海兵隊普天間飛行場を見下ろす場所でインタビューを受けるエージェント・オレンジ第二世代のヘザー・バウザー。(撮影ジョン・ミッチェル)

  沖縄住民は最近、この島がかつて米国の枯葉剤エージェント・オレンジの主要な保管場所であったという山のような証拠に直面している。

 この18ヶ月間、何十名もの元米兵たちが、ヴェトナム戦中の沖縄島に駐留している間にダイオキシン汚染された薬物を浴びたと証言してきた。当時、島は米国統治下にあり、東南アジアの紛争の前哨基地となっていた。その東南アジアでは、隠れ蓑とし、食糧生産を行っていたジャングルから敵軍を追い出す目的で何百万リットルもの枯葉剤が散布された。先月発見された米軍の公文書が、沖縄駐留の元米兵たちの証言を裏付けるだろう。その報告書には2万5000本のエージェント・オレンジの缶が1972年以前の沖縄で保管されていたと記されていたのだ。

 この明白な証拠にもかかわらず、米政府は、沖縄におけるエージェント・オレンジの存在を否定し、東京は環境調査の実施を拒んでいる。両政府の強硬な姿勢は沖縄住民を怒らせ、島への影響の可能性について回答を求める多くの声を棚晒しにしたままである。先月、これらの人びとは、この枯葉剤の危険性を周知することに生涯を献げている人物と直接語り合う機会を得た。



 ヘザー・バウザー(39歳)は、戦争中にヴェトナムでエージェント・オレンジを浴びた米兵の娘だ。「父は38歳で心臓に5本もバイパスを付け、40歳で糖尿病を発症しました。50歳のときに急性心不全で亡くなりました」、訪問中にバウザーは語ってくれた。

 ダイオキシンの影響は長期に持続することで知られ、被曝者の子孫にも疾患を及ぼしうるものだが、彼女の父親にとどまらず、最初のふたりの子どもは胎児のまま死亡、ブラウザーは2ヶ月の早産で生まれ、右膝から下の足がなく、左足の親指を含む数本の足の指が欠損していた。

 「父はエージェント・オレンジの子どもへの影響のことを知っていれば、徴兵を逃れるためカナダに飛んでいただろうと、よく言っていました」とバウザーは語る。

 1970年代から80年代にかけて、米政府と製薬会社はエージェント・オレンジの被害を認めずにきた。だがバウザーの父は、人びとに知らせる運動を広げ、集会に彼女を連れて行くこともしばしばだった。「エージェント・オレンジが殺す」という目を引くメッセージTシャツを着せて。

 彼の活動は当局の目を引き、彼が思うに家の電話は盗聴されていたとしても、彼のようなアクティヴィストの努力が米国政府を動かし、1990年代にヴェトナムで直接にエージェント・オレンジに被曝した米兵への補償提供にこぎ着けた。

 今日、癌、糖尿病から心疾患にわたる12種以上の病状に対して補償が認められている。加えて、ヴェトナム戦争時の推定1800人の女性元兵士の病気の子どもたちは補助を受けられる。だがワシントンはいまだに、男性退役兵の病に冒された何万人もの子どもたち、バウザーのような深刻な健康被害を持つ第二世代サヴァイヴァーへの援助を拒絶したままだ。

 1998年に父を亡くした後、バウザーは被曝した人びとに対する正義を求めて彼女の奮闘を続けていた。2010年、彼女は、米国人第2世代サヴァイヴァーとしてヴェトナムを訪問し、300万人のダイオキシン犠牲者と出会った最初のひとりとなった。彼女の旅は日本のドキュメンタリー映画、坂田雅子監督「沈黙の春を生きて(Living the Silent Spring)」で取り上げられている。

 ヴェトナムでバウザーは彼女にそっくりの先天性欠損を持つ第三世代の若いサヴァイヴァーにあった。「彼との出会いで、これは世代や国境を超えた薬害の遺産だと確信した。個人的なレベルでは、自分自身と向き合う助けとなった」とバウザーは言う。

 この訪問でバウザーは、エージェント・オレンジの影響を受けたすべての人びととつながる緊急の必要性を感じた。1月に第2世代サヴァイヴァーたちとともに非営利団体「ヴェトナム退役兵の子どもたちの健康連盟」を結成した。今日この団体は3大陸に350名以上の会員を擁し「ヴェトナム退役兵の子どもたち、世界中のエージェント・オレンジとダイオキシン被害の第2、第3世代の犠牲者たちの声として」貢献し、「グローバルに正義のために闘う」という活動目標を掲げて連帯している。

 先月、バウザーは日本のNPOピースボートの組織したプログラムの一部として沖縄にグループのメッセージを届け、エージェント・オレンジの国際的世代横断的な遺産に光を当てた。3日間の滞在期間中、バウザーは1960年代から70年代にかけて有毒化学物質が保管され散布されたとみられるいくつかの米軍基地を見せられた。

 沖縄北部の辺野古では、バウザーは米海兵隊キャンプ・シュワブ付近に住む人びとと出会った。元米兵によれば、エージェント・オレンジのドラム缶が何百と保管され、基地内やジャングル戦闘訓練センターの雑草処理に使用されていたという。辺野古でバウザーは1960年代、汚染された貝を食べて毒にあたった地元住民のことを聞いた。

 この地域で米軍基地に抗議する安次富浩は、キャンプ・シュワブ付近住民への健康調査を拒否する日本政府に対する怒りを伝えた。「東京はワシントンの言いなりだ。かれらは沖縄の人びとから真実を隠そうとしている。(エージェント・オレンジ散布を手伝ったと思われる)元軍雇用員の病歴調査を早急にすべきだ」。

 バウザーは、海兵隊普天間飛行場も訪れた。人口の密集する宜野湾市の真ん中にあって世界で一番危険だと言われる場所だ。6月、『ジャパン・タイムズ』紙はここで何十缶ものエージェント・オレンジのドラム缶が秘密裏に埋却され、1980年代になって偶然に掘り出されたため、海兵隊高官が隠そうとしたことを報じた。

 バウザーの関心は、ヴェトナムのダ・ナン米軍飛行場と普天間飛行場の地理的相似ににあると言った。ダ・ナンは現在、米国政府がダイオキシン浄化を試みている場所として広く知られている場所である。「ダ・ナンと普天間は住宅地域の中央にあって人びとは何十年も汚染された土壌と隣り合わせで暮らしてきた。沖縄の住民への長期におよぶ健康被害のことが心配になります」バウザーはそう言った。

 島における自閉症と口蓋裂の発症率の高さについて地元住民が語ると、バウザーはさらに関心を寄せた。いずれも第2、第3世代のエージェント・オレンジ・サヴァイヴァーによく見られる症状だからだ。

 最終日、バウザーは那覇の沖縄大学で開催されたドキュメンタリ映画「沈黙の春を生きて」上映会に参加した。島の人びとのダイオキシンに対する憂慮を証し立てるかのように、雨の降る平日の上映会に100人以上の人びとが駆けつけた。県議会軍特委議長の新垣清涼はじめエージェント・オレンジが散布された疑いのある米軍基地を選挙区に持つ4名の県議会議員が出席した。

 上映会のあとバウザーは、第二次大戦の戦闘で破壊され、在日米軍の大部分を引き受けている沖縄の人びとへの共感を語った。「沖縄で過ごしたわずかな日々の印象は忘れがたいものになるでしょう。戦争の遺産を、皆さんはあまりに多く負っている。しかし失われた惨禍を見通し、互いに強さを見出そうとする皆さんのパワーに感銘を受けました」と彼女は語った。

 ワシントンに対して、沖縄でエージェント・オレンジ被曝した退役米兵に補償を求める請願に賛同して、バウザーは、みんなの闘いは孤立していないと人びとに伝える激励の旅を終えた。

 「組織を結成して国際的なエージェント・オレンジの集まりに参加することをすすめたい。日本政府に対し、沖縄におけるエージェント・オレンジ保管・使用に関する情報の完全公開を求めるのです。もう黙ったままでいる時ではないでしょう」。

 オキナワ・アウトリーチの共同設立者で、島におけるエージェント・オレンジ使用の調査を求める最前線に立つ河村雅美は、バウザーの旅がこれから先の正義を求める闘いに道を拓いたと考えている。「ヘザーが知識と経験を共有してくれたことで、多くの人が触発された。これから彼女と共に頑張ろうと思う。彼女は、過去を振り返るだけでなく、未来のために協働する必要を教えてくれたのです」。

[追記]あろうことか、ヘザー・バウザーさんのお名前を間違えてしまいました。ごめんなさい。ヘザー・バウザーさんと読んで下さった皆さんにお詫びして、訂正のご報告します。
[追記2]オキナワ・アウトリーチのblogで、この記事が取り上げているバウザーさんの沖縄訪問の様子が報告されています。これを読んでから翻訳すれば良かった(>_<)。ぜひお読み下さい。
「ヘザーさんと沖縄が出会う会レポート」Okinawa Outreach 2012年9月17日